第17号

H16.06.05

 特集「渡辺さんに聴く 〜 もう一人の自分をライバルとして 〜 」

 ・永遠のスピードランナー渡辺さんにインタビュー

 ○ ランランリレー談話室

   ・"75歳〜 5つのこだわり〜 " 山口さん

 ○ トピックス

   ・おはようマラソン 〜 今年も元気におはようマラソンスタート! 〜

 ○ 「B・フリー」スプリングランin長岡 〜 10周年記念大会共催 〜

   ・春のロングラン 〜 川口町を目指して 〜

 【特集】

「渡辺さんに聴く 〜 もう一人の自分をライバルこして〜」

  粘りの吉沢さん、スピードの渡辺さん、ランナーズの象徴とも言うべきお二方、誰もが目標

   としているのではないでしょうか。

  そのランニング人生についてお話を伺いました。(6月12日ご自宅で)

 ○ 早速ですが、走り始めたキッカケを教えてください。

  昭和21年4月、21才の時でした。終戦で帰ってきて何かやる事はと思い、ズックとパンツが

  あればできるし、体を鍛えるためにはマラソンがいいと思った。子供の頃から走るのが好

  きだったことや庭球や卓球は相手がいるが、マラソンは一人できるということもあった。

 ○ 走る仲間がいたのですか。

  勤め先の北越製紙に陸上部がありここに入ったが、部は短距離、フィールド競技が中心で

  あり、長距離をやる人はおらず、部には入つたが練習は一人であった。

  教えてくれる人も一緒に走る人もいない。練習方もわからないから当時有名な人が書いた

  本を見ながらの手探りの状態であった。

  この本を書き写しながら勉強し、会社が引けると一人で4〜5kmを走った。 

  (注;練習方法を書き写した当時の資料がありました。きれいな書体で詳細に書かれてい

  ました。)

○ 何から何まで一人で行つたとのことですが、大会に初めて参加したのはいつ頃ですか。

  始めて1年後の昭和22年5月の県大会で1,500mに参加した。予選を1位で通過し、決勝で

  は2位だった。

  予選通過タイムは4分47秒8、大会に出るまでは計ったこともなく、このタイムがどの位なの

  かも当時はわからなかった。

  今思うとあの21才の頃こんなタイムで走っていたのだなあと思っている。満足の靴もなくま

  た、ライバルでもいればもう少しタイムが伸びていたかもしれない。

  ライバルがいなかったことは寂しかった。

  会社には従業員はいつぱいいたが、長距離をやろうとする人はいなかった。

  (注:大会は新潟日報に掲載され「新憲法記念縣体育大会.. “体育再建の大給巻"」の見出

  し、切り抜きが保存されていました。)

○ それではずっと一人で走っていたのですか。走る仲間できたのはいつ頃ですか。

  会社では定年(55才)まではずっと一人であった。現在の愛宕には25才の時に移ってきた

  が、ここでも一人で走っていた。

  吉沢さんとは家が近かったが最初の頃はお互いわからなかった。

  63才か64才の頃吉沢さんから誘われランナーズに入会した。

○ 先ほど初めての大会のお話がありましたが思い出に残る大会は。

  1999年3月7日韓国で行われた第2回ソウルマラソン大会かな。初めての海外でのマラソン

  であった。

  五十嵐さん、丸山さん、長部さんと参加した。ハ―フに参加したが、天候も良く、川べりの

  コースで走りやすかった。

  観光も兼ねいい時に行ったと思っている。 その後海外レースである2000年12月にホノル

  ルマラソンに参加した。

  湯沢合宿の先生である鈴木さんが申し込みから大会までエスコートしてくれ、吉沢さんと

  二人で参加した。

  フルは2回目であり、吉沢さんに「ナベさん、ずっこけた」と言われないように前半抑え、余

  裕を持ち後半の40kmから本格な走りをした。

  朝の暗いうちのスタート、参加者の多さ、応援の素晴らしさは感動的であった。

  行った人でないと分からないと思う。

○ 2回目のフルがホノルルということですが、初めてのフルマラソンはいつでしたか。

  平成5年11月23日、66才の時の新発田マラソンである。3時間23分16秒であったが、めろ

  めろの状態であった。

  ラストの競技場の中で倒れ、また起きあがリゴールをした。フルの要領もペースもわからず

  走った。

○ 今はどんな練習をしていますか。

  力がなくなっているというのがはっきりわかる。20km走って2日休む。走るのは嫌ではない

  が前のような走り

  が出来ないと情けなくなる。前の走りが背中にあるのでどうしても忘れられない。

  年令から来るものであり、自分に言い聞かせなければと思っているが。

○ 渡辺さんにとって走り続けるとは。

  忍耐力がつくということが一番である。人生楽しい事ばかりではないc苦しい中にどう立ち

  向かっていくか、気力と忍耐力がなければ立ち向かえない。人生長い道のり、忍耐力が欠

  けていれば落ちこばれ、あれば生き抜ける。

  走ることの苦しさは忍耐力をつけてくれる。これが一番だと思っている。

※ ランナーズの鏡であり、私たちも渡辺さんや吉沢さんのようにいつまでも走り続けることが

  できるようにといつも思っています。本日はありがとう ございました。 以上


【ランラン:fレー談話室】


「75歳〜5つのこだわリ〜 」

山口

  「ヨーイ!!スタート」時は昭和45年初夏。5月下旬の天気の良い午前6時。所は当時まだあっ

  た八方台休暇センターの玄関前、総勢30名位か。

  行き先は休暇センターから反射鏡のある展望台までの往復約4km、 一斉にスタートした。

  日本が高度成長の真っ只中にあった頃、現役時代最後の会社では、徹底的な社員教育の

  一環として実施されたジョギングの一コマである。

  その当時にどうやら走る事を覚えたのであろうか。

  それ以来、毎年4月に県内春一番で開催される新潟日報長岡ロードレース大会に参加した。


  長岡支社前(当時は中央病院向かいの反対角)より栖吉方面を折り返す16km、 10kmがあ

  り、50歳未満で10kmに参加した事が公式戦での出会いであった。

  毎年大会に同じ会社に勤める三宮氏の雄姿を見て、参加する気になったのである。

  その後、長岡ランナーズのお世話になり現在に至っている。元来、走るのがあまり得意で

  はない。

  公式大会に参加するのは年に2〜3回程度である。しかし、走る事によって他のスポーツを

  楽しくやれる事が本来の姿ではないだろうか。その様な考えで75歳になる現在、人生のこ

  だわりがある。それは「75歳5つのこだわり」である。

 一、走ることへのこだわり

  新潟日報長岡ロードレース、三島町西山連峰登山マラソン大会、寺泊シーサイドマラソン

  大会である。

  以前長岡ランナーズと友好関係にあった茨城県守谷町の大会に参加、帰りは成田山新勝

  寺の参拝が逢か遠くなってしまったが、未だ昨年のような気がする。

  こだわりは、寺泊シーサイドマラソンの参加である。

  中間で1回都合で休んだが、あと2回の連続参加で20回連続出場のトロフィーがいただけ

  ることになる。まずそれまでは連続参加したい。「ハルウララ」の様に全敗である。

  入賞の最高は三島町西山連峰登山マラソン大会年齢別で4位であった。

 二、卓球へのこだわり

  長岡市が昭和20年8月1日、米軍のB29による焼夷弾で全市の80%を焼失したその中の一

  軒が我が家である。

  当時長岡市石内町に在住していたが、空襲に会い命からがら新町小学校の校庭に逃げ

  延びた。

  その後、町内で残った若者同士で卓球台を作り始めたのが最初ではなかっただろうか。

  それ以来60年近い。未だ現役で豊田小学校体育館で週1回練習し、対外試合にも参加し

  ている。

  我流で始めた卓球、お世辞でも上手だとは言えない。下手な横好きである。

 三、ゴルフヘのこだわり

  春4月、フェアウェイの芝生が萌え始めた。気が浮き浮きする。現役時代のゴルフ仲間、

  80歳を最高に75歳、73歳、音の仲間でも、もう物故された方もいる。4月から11月までの間。

  月1回気心の知れたゴルフ仲間4人、1日楽しく過ごせる時がこの先何回やれるか。仲間

  4人競い会っている。

  今年も4月、5月の月一会(つきいちかい)は過ぎた。 6月が楽しみである。

 四、ソフトボールヘのこだわり

  若い時は野球をやるのが好きであった。職場対抗等で野球をやる機会も多く、当時三交替

  勤務の夜勤明けで野球をやった。

  チームはあまり強くない。それが歳を重ねるにつれ、ソフトボールに変わつた。

  学区内の町内対抗のソフトボール大会で、今でも若い人から参加の声がかかり参加して

  いる。

  優勝した時もあり、終わつた後の一杯のビールが格段に美味しい。いつまでお呼びがかか

  るか楽しみである。

 五、山登りへのこだわり

  週1回練習している卓球の仲間で以前高い所で富士登山を最高に自馬岳、近い所で守門岳

  の山開きを数回

  参加、大岳の雪庇は雄大そのもの。そこでの御神酒もまた格別に美味かった。

  また、数年前長岡ランナーズの有志で6月、残雪の残る妙高山に登った事が新しい。

  妙高山頂での菊水ワンカップの一杯が最高に美味しかった。

  帰りの雪解け水の川渡り、水の感触が忘れられない。未だ足のふくらはぎに今でも残って

  いる様だ。

  グループがあれば同じ趣味の仲間が集まる。また山登りの企画があったら、都合がつけば

  是非参加させてください。 以上

【トビックス】

 ○4月11日(日)、恒例の「おはようマラソン」がスタートしました。

  まだ肌寒さが残る陸上競技場に、一日千秋の思いでこの日を待ちわびたランナーが集ま

  りました。

  ランナーズのメンバーや昨年も参加された方が多い中、新たに加わった方も見られ、例年

  のことですが、新鮮な感じを受けます。

  春先のややこわばった走りから10月にはスライドも伸び、流れるような華麗なフォーム?を

  目指してがんばりましょう。

  ランナーズメンバーの皆さんには、おはょうマラソン参加者の中からランナーズヘの入会

  勧誘もお願いします。 (6/6 現在参加登録者は、56名です )

 ○5月9日、国営越後丘陵公園で「B・フリー」スプリングランin長岡10周年記念大会が開催

  されました。

  市内をはじめ県内外からサポーターも含め約100人近くの参加がありました。

  大会は公園外周の起伏のある森林の中をコースとする5km、 8kmのランニングとウォーキ

  ングに参加者はバラつく雨にも負けず、いい汗を流しました。

  今回は、第10回の記念大会であり、新潟県が生んだオリンピックランナーの宇佐美彰朗さ

  ん(東海大学教授) が大会に駆けつけてくれました。

  宇佐美さんが代表を務めるNSVA(日本スポーツボランティア・アソシェーション;日本で初め

  てのスポーツボランティア組織、NPO法人)の協力を得て、ランニング前の伴走教室も開催

  され、伴走の仕方の解説とコース途中での走りながらの実践的なアドバイスを受けました。

  B・フリーに相応しい有意義な大会でした。

  爽やかな汗の後の親睦会は、雨模様のため残念ながら緑鮮やかな芝生の中とはいきま

  せんでしたが「暖の館」で和太鼓やバンド演奏などアトラクションいっぱいの楽しいひととき

  でした。サポーターの皆さんお疲れ様。


「春のロングラン」 

 〜 川口町を目指して」〜

  5月2日、ゴールディンウイークの恒例行事「春のロングラン」が23名の参加を得て開催され

  ました。

  毎回、工夫を凝らしたコース設定で楽しませて?苦しませて?くれる品田さんの今年の設計は、

  厚生会館前をスタート、グリーンヒル長岡ゴルフ場から南蛮山を経て高龍神社に下り、虫亀、

  山古志役場前、ここから二手に分かれ、梶金集落、塩谷集落を回り、木沢トンネルを経て

  ゴール地点「川口町“和楽美の湯"」までの約41kmの“苦しみ大好きコース"と苦しみコース

  と分かれ、山古志高原スキー場を通り、木沢トンネルを経てゴール地点まで約35k位?の

  “もういいでしょうコース"で汗を流しました。

  途中には、南蛮山山頂からの長岡市街の一望や高龍神社下の「名物草餅でのいっぷく」

  など随所にコース設計者の心遣いを感じさせるものでした。

  メインは何か?湯につかり、疲れを癒した後はこれまた恒例の完走祝いの宴が盛大に開催

  されました。

  いつもの事ながらコース設計から安全確保まできめ細やかな対応をして頂いた品田さんと

  “甘い誘惑"車での伴走をしていただいたカツさんに深く感謝いたします。

  ありがとうございました。


<編集後記>

  今回もなんとか予定どおり発行できました。ご協力いただきました方々に感謝いたします。

 ・ 渡辺さんのお話いかがでしたでしょうか。吉沢さんと渡辺さん、まさに.. “走る哲学者"では

  ないでしょうか。

  人にはわからなくても自分はごまかせない“もう一人の自分がライバル" 妥協を許さない

  強い意志感じました。

  単身赴任でなかなか走る機会がない。と言い訳ばかりの自分、まだまだ甘いと感じたイン

  タビューでした。

 ・ 山口さんの多趣味振り。走る他にも楽しみを見つけることでリフレッシュも出来ると思いま

  した。


第18号

H16.12.05


○ 特集「教えてください。ランナーズ〜長岡ランナーズその昔〜」

○ インタビュー: 山内さん

   ・「中越地震、そして田麦山〜現地の様子〜 (志田さんからの報告)」

○ トビックス

   ・恒例の「米百俵リレー」に協賛

   ・おはようマラソン終了


【特集】

「教えてください。ランナース〜長岡ランナーズその昔〜 」

  長岡ランナーズに入会し6年位?になります。どの大会に行っても「長岡ランナーズ」の名前

  は知れ渡り、

  大会要項の過去記録にも会員の名前を見かけます。断片的には我ランナーズの歴史を聴

  くことが出来ますが、発足の経緯やその足跡は残念ながら良く知りません。

  私を含め近年入会した方も同じではないでしょうか。

  そこで、今回は「長岡ランナーズ」の生い立ちについて特集を組みました。 

  書き物として残っているものがありませんので、結成に加わった7人の侍の一人である山内

  さんの記憶を頼りに当時を振り返っていただきました。

  山内さんには資料の探索、提供等もご協力をいただきました。ありがとうございました。

  (11月14日ご自宅でお話を伺いました)

  長岡ランナーズ会員でありながらその生い立ちを良く知りません。本日は、山内さんの記

  憶を頼りにその生い立ちを振り返っていただければと思います。

○早速ですが、発足の契機について教えてください。

  昭和40年代後半だったと思う。今の厚生会館裏手の長岡グランドホテルの所にセントラル

  バークがあった。

  当時は、ここで毎週日曜日に「長岡走歩クラブ」主催で“歩く"“走る"会が行われていた。 

  朝6時に集まり、走る人は悠久山の蒼紫神社までランニングをした。「長岡走歩クラブ」は、

  “歩く"“走る"会の総称だつたように思うがさだかではない。

  当時はウォーキング、ジョギングという言葉はあっただろうが、そういう言葉は使われてい

  なかった。

  走る人達は10名ほどだったと思う。神社参拝後は栖吉、乙吉、浦瀬、成願寺などその時

  の気分と脚にまかせて気ままなランニングであった。これが出発点かもしれない。

○その「長岡走歩クラブ」がランナーズの前身ということになるのでしょうか。

  確かに、当時は大会に出る時はこの「長岡走歩クラブ」という名前で参加していたが、前身

  かというとそうではないと思う。

  この名前には後日談がある。走る仲間が出来、各地の大会に出るようになったが、大会

  会場で選手の名前と所属がアナウンスされるが、その響きがマイクを通すと「長岡ソーロー

  クラブ」と聞こえるようで、会場のあちこちで失笑が漏れることがよくあった。

  確かに速そうかもしれないが、持続力はなさそうだね。

  今思うと、これがランナーズ発足のきっかけとなったのかもしれない。

  この頃になると走るメンバーも固定して来ており、あちこちの大会にも参加するようになって

  来たことから、独立した会を作ろうという気運が高まって来た。

○この時のメンパーが後に言う「7人の侍」だつたのですね。

  発足に加わったのが7人だった。独自の会を作ろうということで当時の飲み仲間のねぐら

  としていた「煉瓦亭」に集まった。

  7人は、滝沢晋さん (初代会長;昨年ご逝去)、五十嵐さん(前会長)、山田(賢)さん、鳥越(六)

  さん、加藤(栄)さん、佐藤(律)さんと私(山内さん)であったと思う。

  当時のメンバーで会員として残っているのは、五十嵐さん、加藤さんと私の3人である。

○会の名前はどうして決まったのですか。

  各人がこれと思った名称を持ち寄り投票の結果、山田(賢)さんの案であった今の「長岡ラ

  ンナーズ」というクラブ名となった。

  煉瓦亭でのこの発足式は確か、昭和49年7月(1974)だったと記憶している。

  「長稜会」とか「健走会」とかいった名前があった。漢字の名称が多い中、横文字であり、

  当時としてはハイカラな名前であった。

  その後はこの名前で大会に出たが、響きのいい名前で記録も良くなったように思う。

○「長岡シティーマラソン」などランナーズ主催の大会がありましたが他にもありますか。

  「長岡シティーマラソン」は、昭和60年(1985)に第1回を開催した。メンバーも増え、県内の

  あちらこちらの大会にほとんど毎週のように参加しており、そんなことから自分達の手で

  地元でも大会が開けないかという意見が出て来た。

  長岡には当時から「長岡ロードレース」があったが、これはエリート大会で誰もが参加出

  来るようなものではなかった。

  各地の大会のように「誰もが参加出来る手作りの市民マラソン大会を」という合い言葉で

  検討を重ねたものである。

  残念ながら15回(平成11年10月3日)を最後に幕を閉じてしまったが、当時も大会開催のた

  めの資金集めが大きな課題であった。

  走るのは苦はないが「資金集めの奔走」は苦労が多かつた。(注、後にこの手作り大会を

  手本に茨城県の守谷市という所でマラソンが開催され、今でも多くの市民ランナーが参加

  していると聞いています)今年で18回、谷川真理、松田千枝等の招待選手、約 4,000名参

  加の大きな大会です 。

  その他には、平成に入り、2回位であつたと思うが「長岡3,000分たすきリレー」を開催した。

  欅の受け渡しは陸上競技場であったが、自分の好きなだけ(1時間位か)、好きな場所を走

  ってくる大会であった。

  夜も走ることになり、安全面から長く続かなかったのではと思う。

  おはようマラソンは、その後も順調に盛り上がり、継続されているのはご承知のとおりである。

○県内各地の大会に参加したようですが記憶の残る大会はありますか。

  その後、メンバーも増え続け、各地の大会で入賞者が続々出てきた。一般の参加者からは

  「かの有名な長岡ランナーズか」などと羨望の眼差しで見られるようになった。

  「長岡ソーロークラブ」とは天と地の違いである。振り返ってみると、よく参加した大会は現

  在も続いている大会が多い。

  鯖石ロードレース(S50)、寺泊シーサイドマラソン(S54)、浦佐耐久山岳マラソン(S62)、

  長岡ロードレース(S47)、新潟マラソン(S58)、西山連峰マラソン(S60)当然のように大会

  参加後は、みんなでよく飲み、よく語り、コミニュケーションはすこぶる良かった。

  胃も肝臓も鍛えられた。 この伝統はしつかり継承されているようだ。

※皆さんいろんな事にチャレンジしたようであるが記憶に残るのは。強者揃いであり、それぞ

  れ果敢に挑戦しており、誰がと言われると難しいが、今日のために写真を整理していたら、

  出て来たものがある。

  これを見ると、番場さんの1,000日走達成、今でも続いていると思うが、渋谷さんの5,000日

  走達成、雑誌のランナーズ主催の「走り込み月間」への挑戦等、とにかくよく走った。

  仲間であると同時にお互いがライバルでもあったが、それ以上に一緒に走ることが楽しか

  ったのだろう。

  当時は揃いのユニフォームも作ったが、クラブの誇りと会員の一体感に大きな役割を果た

  したと思う。

  今でも何人かの人が時々着用しているのでご存知の方もいると思う。旗とかユニフォーム

  はクラブのシンボルになると思う。

○最後に当時を振り返り、そしてこれからを考え、長岡ランナーズの活動について伺います。

  発足の原点は、“走ることが好き、志を同じくする仲間がいる"ことだと思う。 “個人でいろ

  んな大会に参加することも大事” “メンバーと走り、語ることも大事”であると思う。

  一方で、記録を残すこととともに振り返り記憶に残る活動も大事であると思う。苦労はある

  がランナーズ主催の行事は記憶に残っている。

  会員数も多く、新しい仲間も増えている。その時代にあった活動となるであろうが、走れる

  喜びと走らせてもらえることへの感謝、そして、それを今度は自分達で他の人に伝えて行く

  ことも大事ではなかろうか。

※諸先輩の足跡を辿ることが出来ました。本日はお忙しい中ご協力いただき大変ありがとう

  ございました。


「中越地震,そして田麦山 〜 現地の様子 〜 」

(志田さんからの報告)

  10月23日土曜日、10kmちょっとをランし、焼酎とつまみを買って帰る時に地震に出会った。

  度重なる余震に不安を感じながらであるが、翌日から会社に出ていた。

  マスコミ報道で震源地が川口とわかり、田麦山が孤立状態との情報もあり、心配になった。

  森山さんに電話を入れるが連絡がつかず、川口役場に問い合わせたところ、田麦山地区

  は全員小学校に避難しており、学校が唯一の連絡方法であるとのことであった。

  29日(金)、田麦山小学校に電話を入れ、森山さんを呼び出していただいた。3時間後に森山

  さんから電話が入り、やっと連絡が取れ、大変な状況だということがわかった。

  本日(29日)、自動車は入れるようにはなったとのことであったが、とにかく行ってみないと

  状況がわからないため、番場さんと2人で焚き木を持ってその日の夕方、途中の陥没した

  道路に緊張しながら、何とか現地に入いることが出来た。

  森山さんを始め大会役員であった顔見知りの人達と会うことが出来、無事を喜び合った。

  避難した人達は学校のグランドとその周囲に車を持ち込み、体育館、教室、車の中で避難

  生活をしていた。

  ライフラインは壊滅状態、避難した人達は電気もつかない悲惨な状況にもかかわらず比較

  的明るく、前向きに対応しており、感銘を受けた。

  10月31日(日)、11月3日(祭)、7日(日)にランナーズの仲間とボランティアに出かけた。

  その時々に必要としている物を聞き、現地に持ち込んだ。

  森山さんの自家用水道を直し、土台から外れた柱を戻し、崩れる恐れのあった地割れを

  埋めたり、他の建物でも壊れた天丼を解体したり、傾いた家から生活用品を持ち出したり、

  農機具を持ち出せるようにしたり、といった作業であった。

  自衛隊が食炊き出しをしていたが、もっとみんなに喜んでもらえるものを出せたらと思い、

  会長、副会長と相談し、全住民に豚汁を出そうということにした。(費用はランナーズの会計

  から支出させていただきました)

  11月14日(日)、多くの仲間の協力を得、暖かい豚汁を提供することが出来、とても喜んで

  もらった。

  当日は他のボランティアもあり、ちょっとした祭りのような雰囲気であった。家の損壊、道路

  の地割れ、陥没、崩壊が至るところにある。

  マラソンコースに平行して流れる相川は天然ダムになってしまい、大雨や雪解け水により

  状況悪化が予想される。

  降雪期の道路確保も心配される。田圃も地割れがあり、来年は作付けが出来ないのでは

  ないか。家の建築費、来年の農作業、それ以前にこの冬の生活等、考え始めると頭がお

  かしくなるのではと思う。

  尊敬する森山さん、大好きな田麦山の人達と自然が再建され、再びこの地でマラソン大会

  が開催されるような余裕が生まれることを祈らずにはいられない。


【トピックス】

 恒例の「米百俵リレー」に協賛

  第3回目となる米百俵祭りのイベントが、去る10月2日(日)開催され、そのイベントの一つと

  して定着した

  「米百俵リレー」に今年もランナーズが全面的に協力しました。

  巻町入徳館研修センターから祭りの会場の大手通りまで、全15区間42.2kのコースを巻町

  長からの親書とミニ米俵を携え、約100名で繋ぎました。リレーの伴走、参加者輸送等、

  多くの会員の協力をいただきました。


 はようマラソン終了

  10月3日(日)で今年のおはようマラソンが終了しました。恒例の打ち上げは、信濃川河川

  敷になりましたが、

  バーベキューを囲み、今年の成果と来年の再開を確認しました。みなさんお疲れさまでした。


<編集後記>

 ・ ランナーズの生い立ちを語っていただきました。

  昭和49年発足なら今年で30周年では、各地に大きな爪痕を残した中越地震、田麦山の

  惨状 を志田さんがレポートしてくれましたが、豊かな自然と地域の方々の笑顔が戻り、

  あの地にランナーが集う日を願わずにはいられません。 

  ボランティアに参加された会員の皆さん、お疲れさまでした。 (K)



第19号

H17.03.20

○ 「大地がゆれた!! 」

   〜田麦山スポーツ振興会自然塾森山正夫さん〜..

○ 「新入会員紹介〜小山さん、五十嵐さん」

○ ランランリレー談話室「地震で得た私の経験」〜坂牧さん〜

【特別寄稿】

「大地がゆれた!!」

〜田麦山スポーツ振興会自然塾森山正夫〜

  大地がゆれた!!その一報は東京で行われた冒険家小嶋一男さんの極北2,200km犬ぞり

  走破の記念パーティの席上にもたらされた。

  急いで帰宅の途についた---。村は仲間は家族は---。

  ラジオに耳を傾けながら---。だが、何も手応えがなし---。

  湯沢から石打間で立ち往生している上越線の電車を見て、事の大きさを肌で感じたが、

  どうやっても車で田麦山まで行くことは不可能であった。

  東京で買い集めた食糧を背に山越え10kmのランニング---。

  途中で見る惨状に胸がつまる思いだった。

  小さな田麦山であるが、家族を捜すのに一苦労であった。これが大都会だったら家族を捜

  すのは大変なことだろうと思った。

  地元長岡市でも大変な中、いち早く駆けつけていただいた長岡ランナーズの皆さんの姿に

  胸がいっぱいで、どんな対応をした全く覚えていません。

  寒いグランドで夜空を観ながらのたき火―。美味しいトン汁---。

  暖かい友情に感謝の念でいっぱいでした。 ありがとうございました。

  それから毎週のように応援をいただき、スポーッ振興会も自然塾も春からの活動が話題

  にあがるようになりました。とてもうれしいことです。

  そして、新年会では、復興をめざす.. “元気大会"をやろうということになりました。

  第20回ロードレース大会を6月12日に、第9回クロスカントリー大会を9月25日に、そして

  春の自然塾を5月1日に開催することにしました。

  貴長岡ランナーズさんを初め、大勢の皆様の励ましをいただき、力いっぱいがんばります

  ので、今後ともよろしくお願いいたします。

  長岡ランナーズさんのますますのご発展を祈念して感謝の言葉とさせていただきます。


【新入会員ご紹介】

〜 ようこそランナーズヘ 〜


<小山さん 市内関原>

  昨年から長岡ランナーズに参加しました小山です。よろしくお願いいたします。

  今年65才になります。2年前までは勤務先であった日赤病院と自宅のある関原の間の片

  道6kmの通勤ランが専らのトレーニングコースでしたが、退職した現在は、ニュータウン

  から大積にかけてがコースであり、ランナーズのSさんやKさんのよく顔を見かけ、走る意欲

  に駆り立てられ刺激にもなります。

  ランニングを始めたのは42才頃からで、当時はジョギングブームで寺泊シーサイドや新潟

  マラソンが行われるようになったのと時を同じくしています。

  通勤ランを始めたのは大手大橋が完成し、アクセスが良くなったのと仕事が忙しく、練習

  時間を作れなかった必然性からでした。

  また、ランナーの多くが刺激を受けた佐々木功の「ゆっくり走れば速くなる」は私もバイブル

  とし、現在の私の基本になっています。

  現在まで40回程フルを完走していますが、生涯で結果として100回走るのが目標です。

  皆様の頑張りの情報を期待しています。


<五十嵐さん 市内新保>

  平成15年11月から長岡市に住むようになり、昨年の秋から皆さんの仲間に入れて頂きま

  した。よろしくお願いします。

  職業は保健師です。(保険屋ではなくて看護師の仲間です)。

  30代後半になって、健康づくりのために何かしなくてはと思い、走り始めて7年位になります。

  健康づくりと年に2回位フルマラソン完走を目標にしています。

  走ることを通じて、長岡ランナーズの皆さんと出会うことができ、うれしく思っています。

  皆さんから たくさんの刺激をもらいながら走ることを楽しみたいと思っています。


【ランランリレー談話室】


「地震で得た私の経験」

坂牧

  去る10月23日、恐ろしい地響きと共に始まったあの悪夢のような中越地震。家具の下に妻

  と逃げ込み食器

  棚が倒れる音、また色々な家具が倒れ落ちる音など耳元で聞きながら自分達はこれから

  どうなってしまうのだろうとすごく怖かったのが昨日のようにまだ脳裏に焼き付いています。

  皆さんの中にも多大な被災に合われた方も多いと思います。この場をお借りして心よりお

  見舞い申し上げます。 

  こんな恐ろしい地震の中でも友人や知人からの励ましの電話やメールなどをいただいた時

  はとても心強く感じられました。

  私の家は3日間電気が止まっていたのですが、翌日の夜に友人が炊き立てのご飯を持っ

  てきてくれ、それまでカップラーメンばかり食べていた私達にとつては最高のごちそうでした。

  温かい心に触れ家族で久しぶりに笑顔でおにぎりにして食べたことが昨日のように思い出

  されます。

  それから、私はこの地震でいくつかの避難所に鍼やマッサージのボランティアに行かせて

  いただきました。

  その活動のきっかけとなったことがあります。それは、私の家の周囲は被害も少なかった

  ので、地震から4, 5日して仕事もないし娘達も学校が休みだつたということもあり、気分転

  換に私の実家がある高町団地がすごい状態という事なので走りながら見に行こうと思い、

  家路を後にしたのですが、東に500メートルくらい行ったら、そこはまるで別世界のようで

  道路はヒビだらけ、大きな穴が沢山で前に進むにも穴に落ちないように慎重に端を歩いて

  進むしか出来ませんでした。


  大きな重機の音が聞こえているので、娘に「何の音?」ときいたのですが返事がありません。

  その音がだいぶ 聞こえなくなったところで娘が「さつきの音は傾いている家を重機が壊し

  ていた音だよ。

  それを両親と小学生2人がずつと見つめていたよ。」と教えてくれました。

  その話を聞いて自分が何て恥ずかしく愚かな人間なのだろうと思い涙があふれ出てきました。

  高町まで3分の1も行けずにトボトボと帰路に着いたのはいうまでもありません。「ただうちは

  少し断層からずれていただけで一つ間違っていれば今のあの家族と同じ情況になっていた

  かも知れない。

  ただ少し運が良かつただけではないか。」とあの御家族が人事ではなく思えてきました。

  「のんきに走っている場合ではない」。と考えていた矢先にボランティアの話が来たので参

  加してみました。

  私が生まれ育った山古志村ということもあり、避難所の方々も色々話してくれました。

  私があの時に出会った家族と同じ人達がここには沢山おられる。

  何にも出来ないけど夜だけでもゆつくり寝てもらいたい。

  広い体育館に自分のスペースは敷き布団1枚で夜になると腰が痛かつたり、「これからの

  事を考えると眠れない」などと言われる方ばかりで、そんな人達の少しでも手助けになれれ

  ばと思つたのが私がこのボランティアに対しての初めての感想でした。

  最初は4人くらいではじめたこの活動でしたが、週を追うごとに施術者も増え、11月14日に

  は私の母校の先生方、また新潟や上越、地元の仲間達、そして私の入会させて頂いてい

  る山の会の人達の運転ボランテァの申し出もあり、総勢40人での活動を行うことが出来ました。

  この時は長岡市の郊外の避難所に分散して行くことができ本当に良かつたと思います。


  また昨年田麦山ロードレースの際、前夜祭に呼んで頂いた私は森山さんのお宅に泊めて

  いただき、田麦山にも一度行きたいという私のわがままに12月5日には17人の方々が協力

  してくださいました。土田さん、大泉さん、運転ボランティアをどうもありがとうございました。


  知人がこんな記事を教えてくれました。避難所で暖かい鍋物を無償で配給している人に

  「どうもありがとう、感謝しています」と言つたら、「感謝なんてしてもらわなくていいからそ

  の分、今度困った人に会ったらあなたが助けてあげて」と言われたそうです。

  とてもすてきな記事だと思いました。私も走ることを通じて皆さんにお世話になり優しくして

  もらい本当に感謝しております。

  そんな皆さんに大切なことを教えていただいたからこそ今回の活動を続けてこれたのだと

  思います。

  またこの呼びかけに賛同し協力してくださった仲間達にも本当に感謝しています。

  今回の地震は本当に大きな爪痕を残す結果となり、まだまだ被災されておられる方々も

  多くおられます。

  しかし私には貴重な経験をさせていただく天災でもありました。


  最後に親戚、知人の多い山古志村の方々をはじめ被災されておられる方々の一日も早い

  復興と御健康を心よりお祈りし、つたない文ではありましたが私の経験談として載せてい

  ただきました。

  今年は昨年地震で達成できなかったフルマラソン完走を目指して努力していきたいと思い

  ますので、皆さんまたお手数をおかけすると思いますが、今後とも宜しくお願い致します。

  以上



<編集後記 (K)>

・ 新潟中越地震の恐怖は未だ体感として残り、大地にはその爪痕も深く刻み込まれています。

  豪雪が追い打ちをかけ、復興の道のりは険しいものがありますが、「激震地田麦山」の森山

  さんからの特別寄稿を拝見し、一番厳しい地域からの復興に向けた力強いメッセージに感

  動を覚えました。ありがとうございました。

・ 坂牧さんの寄稿は地震発生時の詳細な状況と貴重なボランティア体験談が紹介されおり

  ますが、今でも被災地でボランティア活動をされて いるとのこと。

  真のボランティア精神の姿に頭がさがります。

・ 今回の地震は、田麦山、山古志など中山間地域に大きな爪痕を残しましたが、繰り返し伝

  えられる報道には、人情、助け合い、生まれ故郷への思い、自然との共存など忘れられた

  日本の原風景が映し出されています。

  田麦山小学校児童が作詞した復興支援応援歌からもそれを感じます。見事に田麦山の

  四季を謳いあげ、美しい自然と人々の暖かさが降り注ぐようです。 

  紙面の都合で残念ですが1番だけ紹介します。

  (田菱山小学校ホームページをご覧ください。 http://wwwi.info‐niigata.or.jp/tamugiyama/)


新漏県中越地震 川口町田麦山地区復興支援応援歌

題名:「はるかなるふるさと田麦山」

作詞:田麦山小学校児童 作曲:今成満


大地が息吹き命あふれ どこまで続く青い空

君の心をゆらす 田麦のブナは風に光り

アスファル卜にひびく足音 今年も燃えるロードレース

大地の恵み人のやさしさ あふれるあふれるあふれてる

清らかなれふるさこ 大切なもの全てがここにある



第20号

H17.07.04


○【追悼特別寄稿】

    「長岡ランナーズの巨星〜五十嵐元会長さんを悼む〜山内さん」

○ 新入会員ご紹介 

    〜原さん〜

○ ランランリレー談話室  "富士登山競争に魅せられて! "〜清水さん〜

○ トピック

  ・春のロングラン、おはようマラソン、田麦山ロードレース

  ・B・フリー「走る会」in長岡

○ 今後の活動計画(レクリエーションフェスタ、米百俵リレー)


【追悼特別寄稿】

「長岡ランf―スの巨星〜五十日正木さんを悼む」

 〜 山内 〜

  "え! あの五十嵐さんが---"と驚かれた方も多かったのではないでしょうか。いつもにこや

  かに、紅ら顔でスマートに走つてお られる姿が先ず浮かんでくるからです。

  私たちには30数年間走っておられたランナーズの会長としてのイメージが強いのですが、

  お仕事の面でも、町内会や市の福祉、社会奉仕の面でも大いにご活躍され、その人柄か

  ら誰からも信頼され、大きな功績を残されており、五十嵐さんを語る上 では、この点にも

  触れなければならないところですが、ランナーズの会報でもありますので、ご容赦をいた

  だきたいと思います。

  さて、五十嵐さんはランナーの間では、長岡のみならず、県内各地の大会に行くと、多くの

  方々と"やあ、やあ"と親しく話が弾 んでおられ、知ら」ない人はいないのではと思うほどで

  した。

  そして、レースともなると、あの細い体のどこにあのファイトとエネルギーが秘められている

  のかと思うほどのスピーディーに走 り、年代別ではいつも上位に入賞されておりました。

  大会の後の「直会」では、10年来の知己のようによく呑み、仲良く話をされていました。

  また、長岡での「夜の部会」では多くの ママさんやマスターと顔なじみで二次会、三次会へ

  と流れて行ったものでした。 

  その人が突然---。病魔には勝てず彼岸に旅 立たれるとは誰にも信じられないことです。

  深くご冥福をお祈りする次第です。

  あの夢を語りながら長岡ランナーズを立ち上げた時のように長岡ランナーズが引き続き

  「活躍と発展」が出来るようにいつまでも見守って頂きたいと思います。

  " 五十嵐さん!!長い間お世話になり、本当にありがとうございました "私たちは、長岡ラン

  ナーズの歴史にしっかりと刻み込んだ五十嵐さんの足跡を決して忘れません。

  ランナーズ一同深く感謝し、心からご冥福をお祈り申し上げ、追悼の文とさせて頂きます。


【編集員から】

  長岡ランナーズ生みの親であり、私たちの道しるべでもあった五十嵐前会長の突然の悲報

  には驚かされました。

  本年3月31日ご逝去、蔓75歳でした。ランナーズを代表し、発足時の7人侍でもあり、一番

  身近におられた山内さんに追悼の文をお願いしました。ありがとうございました。


【新入会員ご紹介】

〜 ようこそ!!ランナーズへ 〜

原さん(市内摂田屋)

  この度、長岡ランナーズの会員になりました。昨年、今年と5月のロングランに参加させて

  いただき、とて温かく迎えてくれ、楽しいひとときを過ごさせてもらい、是非仲間に入れて欲

  しいと思いました。

  私は、長岡の県立精神医療センターで看護師をしています。10年前、ダイエットロ的に走り

  始め、着実にその時期、体重が痩せたこと、あと、夫のすすめでローカルな大会に参加し、

  入賞でき、以後あれよあれよ言ううちに走ることにはまり、今現在に至っています。

  とりえは丈夫な体で、走り始めてから怪我の経験もありません。フルマラソンで自己ベスト

  を出したいという日標もありますが、とにかく日々元気に走るということが私のモットーです。

  ランナーズの行事にも出られる範囲で参加し、走る楽しみを分かち合いたいと思っています。

  皆さん!どうぞよろしくお願いします。


【ランランリレー議話室】

「富士登山競争に魅せられて」

清水

  今年も暑い夏がやつて来ます。夏で思い出されるのは、冷たい生ビルーと富士登山競争

  です。正に.. "天国と地獄"この言葉はこのためにあるものだと思います。 

  キャッチフレーズが「制限時間4時間30分、雲上のゴールに挑む日本最の山岳レース、

  標高3,000m、距離21km、気温差21℃、完走率45%、今年も気力、体力の限界にチャレンジ

  する選手をお待ちしております」大変長くなってしまいましたが、この言葉に嘘はありません。

  本当のことなのです。

  レースまでの日程を簡単に説明しましょう。

  前日の午前9時頃に出発し、一路北陸道を下り、上信越道を通り、長野に入り、中央道を

  経て山梨県に入つて河口湖ICで高速を下り、富士吉田市に向かいますが、途中、富士浅

  間神社に立ち寄り、御神酒で乾杯してレースの完走祈願をします。

  身も心も清められてから受付会場の富士吉田市役所に到着、受付後おなじみの民宿に行

  きますが、運の悪いことに途中なじみの酒屋があるので清涼飲料水を若干仕入れて宿に

  行きます。

  宿に着き、入浴後、夕食を食べて早めに寝ようとふとんに入りますが、喉が冴えて誰とは

  なしにアルミ缶を開ける音が---。

  レース当日は朝5時起床、5時半朝食、6時半に民宿を出発し、マイクロバスで会場へ。

  7時開会式、7時半スタート、市街地を経て7kmの第一給水所の中の茶屋まではロードレー

  ス、ここから5合目まての15kmはクロカンレース、ここまでは空気があるから通常のレース

  です。

  6合目付近から樹林帯が少なくなって、溶岩のガレ場の山岳レース、そうです空気が希薄

  になるのです。

  空気が希薄ということは、高山病の様な症状(痙攣、目眩、頭痛)になりますが、山頂に正午

  までに到着しなければ完走にならないので、ガレ岩場を四つん這いになり、もうろうとした頭

  でフーフー言いながら、かき上がっているうちに頭痛、痙攣等も止み、環境に順応します。

  悪戦苦闘してようやく9合目をクリアーすれば山頂は日前に見えて来ます。

  山頂からの声援に押され、一気に最後の階段をダッシュして鳥居をくぐれば天国の山頂、

  ゴールです。

  完走後、皆んなで下界を見ながら冷えたビールでグビーと乾杯!!最高に美味い!!

  以上簡単で且つ、つたない文章ですが、気持だけ富士山頂までのレースを感じて戴けれ

  ば幸いです。ありがとうございました。


【トピックス】

春のロングラン

〜震災の傷跡の残る小千谷、川口、堀之内を経て小出"こまみの湯"まで〜


  5月1日(日)、五月晴れとしてはちょつと厳しい暑さの中でしたが、恒例の「春のロングラン」

  が、小出スキー場近くの「見晴らしの湯 "こまみ"」までの約40kmのコースで行われました。

  6時に長岡厚生会館前から国道を一路小千谷市に向けて、思い思いのペースでスタート。

  昨年の震災の傷跡の残る崩落現場に激震の記憶をあらたに、妙見堰を渡り、小千谷大橋

  から市内に入りました。 

  小千谷駅周辺から川口、堀之内の道路は今なお至る所で陥没したままで、“復興なお遠し"

  の感がありました。

  温泉に浸かり疲れを取つた後の恒例の"完走お疲れさん会?"は、「これぞランナーズ!」と

  いうように賑やかに行われました。

  (これが目的かも?)会員皆さん!距離は怖くありません。皆んなで"走ればいつか着く"是非

  参加してみてください。


【おはようマラソン】 

〜今年も新じ顔ぶれを迎えスタート〜

  4月10日(日)午前6時、今年も陸上競技場にいつもの顔ぶれに何人かの新しい顔が揃い、

  “おはようマラソン"がスタートしました。

  幾つかの行事を織り込みながら、10月まで約半年間のまさに"ロングラン"のスタート。 

  普段は個々人で走ることが多い中、おはようマラソンは一緒に走る楽しみを享受出来る..

  "朝のひととき"ではないでしょうか。

  一人では走りきれない距離でも、2人、3人となれば、走りきれてしまいます。

  「皆さん!!土曜日の夜は○○をほどほどにし、競技場でお会いし ましょう」。


"田麦山ロードレース大会 中越地震復興記念"参加 

〜感動をありがとう〜

  6月12日(日)、恒例の田麦山ロードレースが開催され、ランナーズからも総勢24名が参加し

  ました。

  この大会は年間を通じランナーズ会員が一番多く参加する大会でもあり、おなじみの大会

  ですが、今年はいつもにまして思い出多い大会となりました。

  昨年の秋の震度7の激震が襲い、それを追いかけるように19年振りの豪雪とこれ以上に

  ない障害をはね除けての大会開催は、昨年比約120名増の参加者数でした。

  会場の小学校体育館に流れる.. “ふるさと田麦山"の歌声が参加者を迎え、館内には参加

  各小学校へのエールの垂れ幕、子供達の手作りの歓迎が胸を熱くします。

  スタート横断幕の<スタート地点前で>下に“中越地震復興祈念"が添えられ、まさに復興の

  意気込みを全国に発信する大会でした。 

  励ます側が励まされる素晴らしい大会でした。“田麦山の皆さん感動をありがとう。


【今後の活動について】

○レクリエーションフェスタ2005への協力について

  10/2(日)、国営越後丘陵公園内で恒例の「レクリエーションフェスタ2005」が開催されます。

  昨年は東山で開催されたため、ランナーズとしては参加しませんでした。本年度は国営公

  園開催となり、

  いつもの42.195kmリレーマラソンが可能となりましたので6/18の役員会で参加が決定され

  ました。 皆さんのご協力をお願いいたします。

○米百俵祭りへの協力について

  今年の祭りは、昨年の中越地震発生日10/23(日)に復興祈念行事として開催されます。

  ランナーズも例年どおり巻町からのタスキリレーに全面的に協力することが6/18の役員会

  で決定されました。

  震災から立ち上がる元気な姿をタスキに託し走る姿を全国に発信すべく、例年以上の参加

  者数が期待されます。

  毎年の事ですが、当日はスタツフとして皆さんのご協力をお願いします。


<編集後記>

  昨年の震災で大きな被害が出ている地域で震災に負けず、今年も開催された田麦山ロー

  ドレース、高場山ロードレースの2つの大会に参加しました。開催の原動力は何か。

  と考えたとき共通点があるように思いました。

  それは地域に根ざした手作りの大会であること、決して飾らない、ある意味身の丈にあった

  大会であること、そして情熱を持ったスタッフ陣が支えていること。

  どんな大きな大会にも負けない素晴らしい大会でした。

  向上心が無いと言われそうですが “何事も身の丈"こそ長続きすることかな? なんて思っ

  たりして。

  来年の市政施行100周年記念行事として.. “長岡でフルマラソンを!"という企画が持ち上

  がっているとの報告が役員会でありました。 続報は次回号以降でお知らせします。  (k)


【トピックス】

『B・フリー」走る会in長岡 〜 アテネパラリンピック金メダリスト高橋勇市さんを迎えて〜

<高橋勇市さんプロフィール >

2004アヒテネパラリンピック男子マラソン金メダル(視覚障がい1)

マラソン全盲世界記録保持者

2時間37分43秒

  5月8日(日)、快晴の国営越後丘陵公園で「B。フリー」走る会in長岡」が開催されました。

  本大会は、タイムレースではなく、参加者それぞれが体力に応じ楽しく走れることをモットー

  に誰もが参加出来

  る大会です。 従つて、順位もありません。(希望者にはタイムのみ)。

  今回は中越地震の被害もあり、いつもの公園周遊コースが使用出来ず、8km、5kmの折り

  返しコースで行われました。

  10名から始めたこの大会も今回で11回目の開催となります。今まで会場を変えながら開催

  してきましたが、参加人数や交通事情などから国営越後丘陵公園で定着するものと思います。

  今回は、ゲストランナーにアテネパラリンピック金メダリスト、マラソン全盲世界記録保持者

  の高橋勇一さんをお迎えし、大会が大変盛り上がりましたことをまずご報告致します。

  高橋さんについてはアキレス腱の故障を抱えているにもかかわらず本当に無理して参加

  くださったことを感謝致しております。

  大会は、いつものように参加者全員によるカウントダウンで一斉にスタートし、誰もがにこ

  やかに談笑しながらのスタートとなりました。

  どうしても視覚障がい者の方は、天候や伴走者の有無で普段運動不足になりがちです。

  特に今年は中越地震と大雪のせいで地元の人には待ちわびた大会になつたものと思います。

  幸い天気にも恵まれ、皆さんカー杯走り、今までの鬱憤を晴らすかのように額に大粒の汗

  が光つていました。

  その後、和やかな交流会では高橋さんから普段の練習方法やパラリンピックでのエピソー

  ドなどを話していただき、参加者全員が熱心に聞きいっていたことが印象的でした。

 参加人員 130名

 ・マラソンの部60名うち視覚障がい者20名(8km 55名、5km 5名 )

 ・ウォーキングの部50名うち視覚障がい者25名

 ・スタッフ陣20名



第21号

H17.12.04

○震災復興1周年祈念行事 米百俵まつ参加  

     〜今年も米百俵リレーをランナーズがアシスト〜

○ランランリレー談話室   "最初のフルマラソン完走 "〜丸山さん〜

○トピックス

  ・長岡まつり協賛駅伝大に6チームが参カロ〜女子チーム入賞

  ・残念 !!  〜おはようマラノン終了打ち上げ会雨で中止〜

  ・長岡市100周年記念・震災復興祈念行事続報

  ・〜長岡フェニックスマラソン(仮称)開催か? 〜


【震災復興1周年祈念行事 米百俵まつ参加】

  今回で第4回日となる「米百俵まつり」が「震災1周年復興祈念行事」として昨年の震災発生

  日10月23日(日)に開催されました。」

  我がランナーズも恒例の「米百俵リレー」当日は朝から時折激しく降る天候に「雨の中の

  リレー」を覚悟をしていましたが、スタート時点から最終まつり会場での親書代読までは、

  天は雨を一時的に猶予してくれました。

  巻・岩室。弥彦の一部区間では強い風に悩まされましたが、15区間42.8km、約100人の

  ランナーにより、タスキと親書、ミニ米俵が大手通りのまつり会場までリレーされ、巻から

  参加したランナーがメインステージで主催者に米百俵の精神を記した巻物で長岡の変わ

  らぬ思いを100人のランナーに託した親書を伝えました。

  スタート前のセレモニーには、長岡藩17代当主牧野忠昌氏(ネ申奈川県逗子市在住)が駆

  けつけ、米百俵、の精神巻・長岡両地域で受け継がれていることの意義とタスキがまつり

  会場までリレーされることを祈念するとの挨拶がありました。

  1区、2区、3区は、巻・岩室・弥彦地区を走るため各地区のランナーが受け持ちましたが、

  参加ランナーは町の職員などが多いようでした。

  第1回日はこの区間を巻高校女子ホッケー部員が走り、リレーのスタ―卜に彩りを添えて

  くれたことが思い出されました。

  4区、5区は水田地帯を走るコースで、今回は弥彦山からの強風の影響を受けたところで

  した。6区から8区は、コースの中でも道幅も狭く、先導が下番難しいところであり、ここには

  ランナーズメンバーをメインで配置し、安全確保をはかっています。

  終盤の13区、14区は、昨年から親子区間としており、小学生とお父さんペアが楽しそうに

  走っていました。

  最終5区は、大手通りに入り、ミニ米俵から実物大の米俵に担ぎ変え、沿道の拍手に迎え

  られゴールテープを切りました。

  各区間とも予定された時間での受け渡しが要求され、ランナーズメンバーは普段の走りと

  は違い低速ペースの戸惑いと走行の安全に配慮しながらの難しい先導でしたが、ジャスト

  予定時間午後4時30分に大手通りのまつリメイン会場にゴールしました。

  揃いのトレーナーで走る姿に沿道での声援もあり、米百俵の逸話を体験を通じて認識でき

  るいい機会であると思います。

  長岡市が合併で広域化し(午後4時30分を米俵を担いでのゴール)ており、歴史がそれぞれ

  違う地域がひとつになり、街づくりを進める上で米百俵の精神はますます重要な (巻町から

  の親書伝達)心の拠り所となるのではと感じながらの一日でした。

  先導に、バス輸送の添乗にご協力いただきましたランナーズの皆さん、大変お疲れ様でした。

  そして、ありがとうございました!!


【ランランリレー談話室】

 『最初のフルマラソン完走』

 丸山


  健康増進としてジョギングを始めて33年目。いろいろな思い出があるが、一番印象に残っ

  ているのは最初のフルマラソン完走であり、そのことについて少し述べてみたい。

  1982年9月15日、河口湖畔.での第15回タートルマラソン世界大会に参加する機会を得た。

  完走できるか不安もあったが、20kmでも30kmでも走しれればよいと考え参加した。

  コースは、富士山麓の川口湖畔2周。外国人を含めて909名が一斉にスタート。

  小雨の降りしきる肌寒さの中、

  同じようなペースで走っている東京や神奈川県の人達と早速仲良しとなり、愉快に話しな

  がら走る。しかし、10kmで左足が痛くなる。

  その後は完走を第一に考え、3〜5km毎にひざの屈伸をしながら走る。

  河口湖を1周したところで、山梨県の大月市から来たというAさんと肩を並べて走る。

  思いがけなくAさんの奥さんの用意してくれた、おにぎりをひとついただく。

  温かいおにぎりを食べ、元気が出てきた。腹に力が入り、“よし、やるぞ"という気力が湧

  いてくる。

  あと10kmとなってから急に元気が出てきて、スパート。足の痛みがうそのようになくなり、

  気持ちよく走る。 歩いている人達を追い越して行く。

  ゴール前の5kmのあたりで天候も回復し、富士山が真正面に見えてくる。

  雄大な富士が私を温かく迎えてくれているのだ。

  勇気百倍l 疲れも忘れて感激のゴールイン。(4時間47分30秒)フルマラソン完走は夢の

  また夢であつた。

  ジョギングを始めて10年日、ついに夢が叶つたのだ。 

  今年11月27日には “つくばマラソン"に参加します。6年振り、8回目のフルマラソンにチャ

  レンジです。

  「小さい花や大きな花一つとして同じものはないから NO.1にならなくてもいいもともと特別

  なOnly One」(SMAP)

  世界に一つだけの花」より)のことばを信じ、楽しく完走したいと思います。

  よき走友に巡り合い、今日の自分があると感謝の日々を送っています。    以上


【トピックス】

○長岡祭り協賛駅伝大会に6チームが参加 〜女子チームが入賞〜


  7月31日(日)、第58回長岡まつり協賛駅伝競争大会が市営陸上競技場をスタートとする信

  濃川護岸コースで開催されました。

  大会は、男子68チァム、女子10チーム、高校男子8チームの合計86チームがエントリーし、

  4区間約6kmをタスキを繋ぎました。

  この大会には毎年おはようマラソン参加者とランナーズメンバーでチームを編成し参加し

  ていますが、今年も男子4チーム、女子2チームで参加しました。

  日ごろは、思い思いの走りと自分の目標としている大会での走りが中心ですが、年1回の

  チームを組んでのこの駅伝大会は、違った意味で緊張感と達成感もあり、おはようマラソン

  参加者にとっても、駅伝大会参加は初めての方も多く、仲間とチームを組み=緒に走る楽し

  さと達成感は走りつづけるモチベーションにも繋がるものと思います。

  参加各チームは日ごろの成果を発揮し、よく健闘し、中でも原さん、高橋さん、速水さん、

  池田さんのベストメンバーで編成した女子チームは見事入賞(ごめんなさん、正式順位失

  念しました)を果たしました。 

  男子チームもベストメンバー1チームと志田さんが走力の均衡を見ながら編成した3チーム

  は、その読みがずばり的中し、ベストメンバーチームはもう少しで入賞という上位くい込み、

  残りの3チームは順位が連なり、ほぼ同じようなタイムでゴールしました。 

  "チームで走るってほんとうにいいですね" 次回は皆さんも参加しませんか。..


残念!!  〜 おはようマラソン終了打ち上げ会雨のため中止 〜

  4月10日(日)からスタートした今年のおはようマラソンの打ち上げを10月2日(日)、国営越

  後丘陵公園で計画していましたが、当日は雨のため中止となりました。

  中間でのバーベキュー大会、夏のロングラン、そして、この打ち上げは、おはよマラソンの

  イベント3セットでもあり、残念な結果となりました。楽しみは来年に繰り越しということですね。

  また、この日は「長岡市レクリエーションフェスタ2005」の開催も予定され、ランナーズは42.195km

  リレーマラソンで協賛していましたが、これも中止となりました。


長岡市100周年記念・震災復興祈念行事協賛続報 

〜 (仮称)「長岡フェニックスマラソン」開催か? 〜


  長岡市100周年記念・震災復興祈念行事の検討が進められていますが、この行事のひと

  つとして、新たなマラソンの企画が 検討されています。

  ランナーズから今井会長がこの検討メンバーに加わっていますが、100周年という節目、

  そして、震災から立ち上る姿を全国に発信するためにもふさわしい形での開催で検討が

  進められているようです。

  検討段階ですが、「長岡フェニックスマラソン」(仮称)という命名にもその意気込みが感じら

  れます。

  開催形態は、フルマラソン、30kmロードなどが論議されているようです。開催時期、予算、

  コース、参加人員など、全体行事とのコンセプトも含め、これから市で実行委員会を立ち

  上げ詳細が詰められて行く予定と聞いています。

  ランナーにとっては地元の大会であり、大いに期待していですね。

  引き続き次回以降の続報とします。


<編集後記>


 ・ランランリレー談話室、丸山さんから寄稿いただきました。

  初めてのフルマラソン完走の感激が伝わってきます。

  初めてのフル、未知の距離への不安、耳学で刷り込まれた35kmからの厳しさ など、私も

  数年前のどきどきのスタートを思い 出しました。

・柏崎マラソンに参加してきました。アップダウンがあり記録は望めないコースだと思いますが、

  沿道の声援に感激しました。

  街中で もないコースですが、どの地域にも応援の姿が見られました。民家の軒先で最後

  のランナーにまで声援を送るお年寄り、地元ランニングクラブ方々の応援太鼓、温もりを感

  じさせる大会でした。

  "長岡フェニックスマラソン"、ランナーズの存在感も合わせて、あったかい大会でありたい

  ですね。 (k)



第22号

H18.03.26

○ ランナーズ最新情報(長岡市100周年記念・震災復興祈念行事続報)

  ・ 「長岡初マラソンに向け GO!」〜藤田さん〜

○新会員紹介 

   ・ 山谷さん和田さん青柳さん

○トビックス

  ・ 恒例の大忘年会〜アクアーレ長岡で〜

  ・ 大雪の合間の元旦マラソン


「長岡初のフルマラソンに向けGO !」

(藤田 市内喜多町)

  「長岡で初めてのフルマラソンをやりたい」。私を含め、そんな思いが数年前から多くのラ

  ンナー仲間の旨にありました。

  長岡には更新を重ねながら、まだ一回も使われていないフルマラソンの公認コースがある。 

  県内のいくつもの都市で既に多くのフルマラソン大会が開催されているにもかかわらず、県

  下第二の都市である長岡市で未だに大会が開催されていない。

  来春にも東京大都市マラソンが予定されているように、今やマラソン大会の開催は都市の

  責務でもあり、また、市民のスポーツ振興や健康増進施策、それに観光の上でも大きな成

  果が期待されている。

  そんな思いがあったのです。 しかし、夢を実現するには当然の事ながら資金が伴います。

  例え何がしかの参加費収入があるとは言え、一定の予算も必要になつてきます。

  私も数年前からその実現の機会を伺って来ました。

  そんな中で目を付けたのが今年の長岡市制100周年記念イベントヘの提案でした。

  必要とされる予算は数100万円。記念イベントとして採用されればその資金は確保される

  はずです。


  私はまず、昨春の長岡ランナーズの総会でその考えを提案し、仲間の皆さんの協力をお

  願いしました。市を動かすには議員や大物選手がひとり、大きな声を出しただけでは絶対

  に相手を説得することはできません。

  当事者をはじめ、多くの市民が声を挙げる、つまり機運の醸成が絶対に欠かせないのです。

  そして早速、長岡ランナーズの今井守雄会長にマラソンのコンセプトや予算案、コース作

  りなどをお願いしそれを元に会員以外のランナーに声をかけ、更にプランを煮詰めていきました。

  中越地震からまる2年。見事に復興した長岡を、ご支援いただいた全国の皆さんに見てもら

  いたい。

  日本一の大河信濃川を渡り、復興なった被災地や仮設住宅を走り、沿道の応援で、越後

  の豊かな自然と暖かな人情に触れてもらいたい。

  そして、更にこれからもこの新潟を応援し続けていただきたい。そんな思いでマラソンの夢

  を皆で描き続けました。

  制限時間は5〜6時間。フェスティバルのような楽しい企画を考え、初心者でも楽に走れる

  プランを練りました。

  そして、昨年の8月上旬にはそのグループで長岡警察署へ赴き、警備の約束を取り付ける

  一方、暮れには長岡市の復興推進室の主導で、来秋の中越地震復興イベントのひとつと

  して実施する準備会を立ち上げるまでに至りました。


  しかし、会議の中で長岡市は「復興」に重点を置き、ぜひ今秋開通予定の国道291号線を

  はじめとする「山古志」を走らせたいと強く主張。

  私たちはフルマラソンが実現するのであればとの思いで、いわゆる公認コースをあきらめ、

  市の考えを受け入れました。

  「中越復興フェニックスマラソン」と名付けられたこの計画は起伏の激しい中山間地を走る、

  国内有数の難コースとなる予定でした。

  しかし、つい先日、3月に開かれた第3回準備会で市当局から報告された結論は次のよう

  な物でした。

  「大会のアドバイザーである(株)らんな―ずからの強い指導で、2〜3千人ものランナーが

  一斉に走るには、このコースはあまりにも狭く、また、復旧工事の直後では危険が大きい。」

  との理由で1 0kmに変更と伝えられてきたとの事でした。 

  開催は今秋10月1日の予定。これらの問題は発足当初から把握できていたはずであり、

  なぜ今になってとの不満は残るものの、この時点では余りにも時間が無さすぎるため、

  今年は「マラソン & ウォーク」と言う形で実施することを了承しました。 

  しかし、長岡市は同時に今回の経過をふまえ、「来年以降、できるだけ早い時期に平地

  でのフルマラソン実施」を約束してくれました。

  残念ながら今年のフルマラソン実現の夢は無くなりましたが、返つて陸上競技場や中央

  体育館などを中心とした、より充実したフルマラソンの実現が可能になったと考えています。

  実現には一人でも多くの皆さんの声が必要です。

  夢の実現に向け、これからも力を合わせて頑張りましょう。 以上


『新会員紹介』

〜初めてのマラソンから〜

【山谷さん;市内宮原】


  今年は行けるかなあ、山菜取りに。今年は走れるかなあ、100kマラソン。行けたらいけば

  いい事。考えれば考える程自分にやさしく成って行く。

  雨にも負けず、夏の暑さにも、おまけに冬の雪にも負けずに走っていた。 

  走り始めて3ヶ月位の寺泊マラソンに参加した。

  一緒に走ってくれた走友の中にはもう逢いたくても逢えない人達もいる。たかが10kされど

  lOKだった。

  今でもはっきり覚えているのは、ゴールした後、水も飲めず皆んなで食べていた昼の焼肉

  も一日も口にする事なし、夢の中だった事。 

  それにもめげず、こりもせずそのlヶ月位後ランナーズの仲間と寺泊まで行く30kmの練習

  ランに参加した。

  ゴールは寺泊の寿司屋さん。くいしんぼうの私はただただ走りつづけたものだ。だが、やっ

  ぱり悪夢はやって来た。

  走っては休み、走っては休みだが後2kmの所で足がケイレンした。走友達は何度も何度も

  私の足をマッサージしてくれ、励まし続けてくれた。

  歩いても行ける。速い人達はもう風呂に入り美味しいビールを。そう思うとくやしくて、痛い

  足を引きずり海の見える所まで来た。

  数百メートルでゴール。やっと走友達に温かい風呂と美味しいビールを飲ませてあげられる。

  今思えば身震いする程の喜びだった。

  あの感動を私はあれからいろんな場面で味わって来た。今年もまた越後くびきのマラソン

  が行われる。

  100kmは無理でも50kmで私なりの走りで、そう自分にやさしく、年相応にゴールは誰よりも

  美しく、輝いてテープを切る。

  これで決まりです。今年の秋.. “くびきの"が楽しみ...


『和田さん;小千谷市三仏生』


  今年から正式に長岡ランナーズの仲間に加えていただくことになりました。和田といいます。

  通称は.. “阿呆の和田"と申します。

  自他ともに公認です。産地(出生地)は、小千谷市三仏生で地名はいいんですが、仏け心

  は全然ありません。

  走歴は27年になります。小生がレースに参加し始めた頃は、いつも志田さんと大泉さんに

  は置いて行かれました。

  品田さんや沼田さん、それに野口さんはレベルが数段上なので相手になりません。

  でも他の人達は(番場さん、佐々木さん、杉本さん)皆んな優しい友達でした。

  前記の数人が優しくないのではなくて、小生には目標でした。

  前を走ってくれる友が居られるので頑張って来られました。今では杉本さんも前に居られ

  るので目標がまた増えました。

  “追いつけ追い越せ"と思っても無理のようです。可能性の無いのに追いかける小生はやっ

  ぱり阿呆です。

  今まで入っていた小千谷のクラブは走る人がほとんどいなくなりました。

  長岡ランナーズはその点で目標あり、話し合える人あり、時にはアドバイスをくださる人あ

  りです。

  たくさん居られる仲間より、どん欲に学ぶために入会させてもらいます。

  と言うものの小生は他の誰よりも気が小さい男ですので、よろしくお願い申し上げます。


『青柳隆さん;市内本町』


  おはようマラソンに参加し、走り始めて10年が過ぎました。大手大橋までの往復が出来な

  かった自分が、今では先輩のアドバイスを参考にして、ハーフマラソンは2時間を切るまで

  になりました。

  また、寺泊マラソンには20回連続出場を目標に頑張りたいと思っています。 

  一日も長く走り続け、吉沢さんや渡辺さんを目標にして、毎日少しずつ練習をして行きたい

  と思っています。


  ご紹介をいたしました3名の方の他に宮越さん、磨田さんの2名の方が新加入されておられ

  ますが、紹介原稿が間に合わず次号以降で紹介させていただきます。

  お二方には大変申し訳ありません。


【恒例の大忘年会inアクアーレ長岡】


  去る12月4日(日)、小春曰和の中、恒例のランニング忘年会を震災のため休業状態の

  定宿、見附温泉から、場所をアクアーレ長岡に移し、39名の参加を得て開催されました。

  長岡駅東口から約10k mの程良いランニングの汗と1年の疲労を温泉で流した後、宴会ヘ

  ではなく、今年は志向を変えてお勉強を。

  大塚製薬大官支店長岡出張所の健康管理一般指導員の田村課長から「スポーツと水分

  補給」と題した講演をいただきました。ランナーズとしては珍しく格調の高い忘年会でした。


【大雪の合間の元旦マラソン〜雪にも負けず〜】


  12月としては、過去最高の積雪を記録した今冬。道路状況が心配された今年の元旦マラ

  ソンが束の間の降雪の小康状態に恵まれ、26名の参加を得て実施できました。

  降雪はないものの気温は氷点下を示し、道路も凍結状態で足元も悪いコンデションでしたが、

  蒼紫神社までのコースで走り始めを楽しみました。

  “さあ!l今年も始まった。走るぞ!!"という声があちらこちらで聞こえてきました。


【編集後記】


 ・"長岡でフルマラソンを!"という夢の実現間近か。という印象を前回号で紹介をしておりま

   したが、ここに来て開催変更の情報が入りました。

  “どうしたんだろう"と思い、開催に向け、まさに粉骨砕身、中心となつてご尽力をいただい

  ております藤田さんに経緯と見通しについて特別寄稿をお願いしました。

 ・  残念ですが形は変わっても走る事への思いは変わらない。“夢の実現に向け頑張りまし

  ょう"と呼びかけている藤田さんの思いをしつかり受け止めました。

  ランナーズの皆さんここはひとつ 頑張りましょう。