創刊号

H12.06.04

『皆様のご協力に感謝』


名誉会長

五十嵐


 木々の緑も一段と深い青葉となり、一年中で一番美しい季節となりました。

 さて、平成2年に前会長の滝沢晋さんの後をうけて、会長に就任をさせていただき満10年が経過し、

 このたび今井(守)さんに後任をお願いし、退任させていただきました。

 この長い間皆様のご支援とご協力によって、大過なく職務を遂行することが出来ましたことは、私の

 このうえない喜びであります。ここに紙面をお借りし厚くお礼を申し上げます。

 想いおこせば平成2年9月に、長岡ランナーズの日頃の活動が地域の人達の健康増進と体力づくりに

 大きく貢献していることが認められ、「第5回スミセイ健康財団賞」受賞の栄誉に浴したことであります。

 また、「長岡シティマラソン大会」の開催につきましても、連続15年の長い期間にわたって自前で企画・

 運営をし、大きなミスもなく県内外からの参加選手の皆様から感謝され、生涯忘れることができない楽し

 い思い出となりました。

 今後は、「長岡ランナーズ」の会員としての誇りをもち、微力ながらご協力をさせていただく所存であります。

 むすびに、会員の皆様にあらためて喪心より感謝申し上げますと共に、「長岡ランナーズ」の益々の発展と

 皆様のご健勝とご活躍をおいのりし、お礼のご挨拶といたします。


『ご挨拶』

会長 今井(守)


 最初に五十嵐さんと小幡さんへの長きに亘るご指導に感謝申し上げます。

 特に、五十嵐さんは10年の間ランナーズの運営と指導を精力的に行い、「長岡ランナーズ」の顔であり、その

 指導力にはただ敬服するのみでした。ランナーズ三代目の会長を引き受けるにあたり、五十嵐会長と同じ事

 はとてもできる力がない事を、最初から会員の皆様はもちろん自分自身も十分承知はしております。

 しかし、引き受けたからには少しでもランナーズのお役に立ちたいと考えております。「長岡ランナーズ」創設の

 目的は競技者の集まりでなはく、走る事から健康と仲間作りを原点に置いたものと考えております。

 これから、ますます進む高齢化の21世紀にむけて、病院やベット・オムツと仲良くしないためにも、「長岡ランナ

 ーズ」に加入していて良かったと会員の皆様が思って頂けるように役員および会員のご協力をお願いしご挨拶

 といたします。


『B・フリー』との出会い

野口


 平成6年春、新聞紙上に視覚障害者と伴走者が一つのループで結ばれ、信濃川の土手を快走している姿が

 掲載されておりました。その紙面の中に「伴走者募集」の記事が、ふと、私の目のなかに留まりました。

 これからの人生のなかで伴走ボランティア等もやって見るのも良いのかなと、即日入会しました。

 今は「長岡ランナーズ」の会員の協力を得て、風薫る5月のもとで「B・フリー」の方と共に汗を流し 楽しい交流

 を続けています。 

 第2回大会の閉会(再開の誓い)での別れを惜しむ涙の姿が、今でも私の目に焼きついています。


『走友のための会報を』

(丸山記)

 本年度は、「長岡ランナーズ」だよりの発行は4回(6、9、12、3月)を予定しています。

 編集発行は今井・番場・上原・丸山が担当します。

 「走友の走友による走友のための会報」をみんなで発展させていきましょう。

 今回は創刊号で制約もありましたが、皆さんからの積極的なご投稿をお待ちしております。

創刊に協力いただきました方々に感謝申し上げます。


第2号

H12.09.30

「長岡シティマラソン大会」について

小幡(守)


 「今年は市民体育館に"シティマラソン大会"の申込書がありませんが?」と、7月末までに電話で2件 の問い

 合わせがありました。「今年は都合により中止しました」と返答しました。この電話から「長岡シティマラソン

 大会」は市民から期待されていたのだなあと思いました。

 行政の力を借りず「長岡ランナーズ」会員だけで15回も実施したのですから誇るべきだと思って居ります。

 素人集団に何ができるものかと冷たい眼で見ていた専門家達も5回、6回と開催するうちに「長岡ランナーズ」

 会員の底力に驚きの眼で見るようになりました。

 15年間の大会にはいろいろなドラマがありました。雷鳴轟くなかで走り続けるランナー、親子連れのファミリー

 ランナー、今となっては懐かしい思い出です。

 しかし、400〜600人参加の大会を運営するのに40数名の役員でしたから、終了するまで心の休まる時はあり

 ませんでした。 事故があってはならない、その事だけを念じていました。

 15回もの「長岡ランナーズ」のイベントにご協力くださった会員、「長岡ライオンズ」の方々に深く感謝申し上げま

 す。

 会員の高齢化、資金調達の困難等から「長岡シティマラソン大会」を中止せざるを得なかった

 苦哀を 察してください。いつの日か「長岡シティマラソン大会」の復活を...


「第14回浦佐山岳マラソン大会に参加して」

今井(元)


 心配した残暑も和らぎ、当日は日和に恵まれ、8時半一斉にスタート。私は、頚城の100kmの練習にと2周を申

 し込む。

 目的はマイペースで全コースを歩かずに走るため。第二の山や「ご平」では歩いて登る人が多いので、登りでは

 追い越したものの、下りで全部その人達に追越されるというスローペースのため、一周2時間50分位かかる。

 二周目に入り、"よ―し"これからが私の本領を発揮する時と勇んで出発。だが気持とは裏腹にそれほどスピード

 が上がた訳ではない。周りに走っている人も見えないのでのんびりし、いつしか競技で走っているという緊張感も

 なくなる。

 走らせて頂いていることへの感謝で一杯になり給水所の方々にお礼の言葉を述べる。

 見晴台で越後三山を眺望し、萩通りで萩を愛でという具合で楽しく全コースを目的通り走り通せた。

 ゴールタイムが4時間51分にもかかわらず、ランナーズの皆様の精一杯の歓迎を頂き、完走の喜びが湧いてきた。

 送迎して下さった松原さん、大泉さんお世話になり、ありがとうこざいました。


「山登りへのいざない」

田口


 風薫る6月、番場さんの提案で「会津駒ケ岳」を登ってきました。男女核各4名、計8名のパーティ天候はまずまず、

 残雪が多く幻想的な雰囲気であり、山の素晴らしさは短文では表現できません。

 とにかく大自然の美しさ、雄大さに酔い、処々酒にも酔い、又、多様なメンバーとの会話を楽しみ、夜には温泉と

 珍しい地域料理を賞味、楽しさいっぱい詰まった至福のひとときでした。

 翌日には尾瀬沼まで足をのばして美しい水芭蕉を観賞できました。登山、トレッキングは日頃機会があったら

 是非いっしょに山登りしませんか。


ランランリレー談話室(1)

「大阪への600km・RUNの思い出」

山内走り始めて28年が経ちました


 昨年3月末の退職を機に本社のある大坂迄走ろうと考えていた。

 10年来の夢を挑戦し、6月7日から1ヵ月間、目的地より電車や車で家に帰ったり、ホテルで泊ったりしながら

 実質的には16日間で600kmを走り抜きました。

 最初の頃は中継地に着くと全身が硬直し、痙攣が起き動けない状態が続きました。しかし、沿道の多くの人達

 の温かい人情と励ましの声援に後押しされながら大坂へ、大坂へと盲進したした訳です。

 敦賀からの山中で目の前を野猿の群れに遭 ったり、歩道の無いトンネル等では壁に張り付いて大型車を避

 けたこと等、危険と楽しみと苦しみの思い出が一杯残っています。

 そして、大坂駅周辺では雑踏の中で感激の涙と叫び声が止まりませんでした。

 帰岡後ランナーズやおはようマラソンの皆さんから祝賀会を催して頂き感謝しています。

 これからも、「生ありてRUNあり、走ありて活充有り」をモットーに走り続けたいと思っています。

 宜しくお願い致します。


「白井さんを悼む」

番場 副会長


 白井さんは、この春より体調を崩され、6月に入院。再起を夢見ていらっしゃいましたが、7月25日に享年83歳

 で逝去なさい

 ました。 7月27日の告別式には、遺影に長岡ランナーズのシャツ姿、柩の中にはシティマラソン大会役員の

 帽子が納められていました。

 昭和57年9月に入会後、18年間我々後輩に夢と希望を与えてくださいました。

 きっと、あの世でも短パン姿で走っていらっしゃることでしょう。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


「おはようマラソン」

佐々木


 4月から始まった「おはようマラソン」もまもなく終わりになる。初めて走る人、ベテランランナー達、仲間60余名

 の参加者が健康のためにと、毎日曜日の朝6時、陸上競技場に集合し思い思いの目的を持って走りました。

 雨の日は休みですよと声をかけても熱心な人が必ず来る。

 陸上競技場から長岡大橋・長生橋を廻る約7kmのコース、速く走る人、自分のペースで楽しみながら走る人、

 土手のさわやかな風を走る風に変えて、各自の目的に向かって頑張る姿が美しい。

 小中高生からおばさん、おじさんと言われる人達、皆んな仲良くおしゃべりしながら楽しみました。

 また、各種大会に参加され上位入賞される方、長いコースをゆっくり走る方もあと少しで終わる「おはようマラ

 ソン」で達成感を味わって頂けましたでしょうか。 来年も必ず参加してください。


「編集後記」

丸山


 誰よりも早く原稿を手にし、一番感動して読める。ささやかな幸せを感じながら第2号の編集をさせて頂きました。

 編集子これからも頑張ります。次号は12月3日忘年会の日に発行配布の予定です。


第3号

H12.1203

「新潟マラソンと私」

笹井


 10月の体育の日、新潟マラソンは私にとって一年間の生活のリズムになってしまった。

 フルマラソンでタイムオーバーになってしまった。あの辛い思い出があるからこそ、今ハーフが走れる。

 走って苦しくなっても、自分はこの倍の距離を走ったの。今フルマラソンの人は、私が折り返しても4分の1で

 しか過ぎないと、常に自分にプラスの方向に気持ちをもちかえて行く。

 新潟マラソンで、私にとって一番の山は、信濃川にかえってきたときの約5kmの堤防。ここで待っている強敵、

 それは痙攣。

 今年もあと2kmのところでやってきた。ラストスパートをかけられないもどかしさ、そんななか競技場に帰って

 来れると、今までの辛さが大きいほど、ゴールの喜びは何とも言えない充実感となる。

 これからも、健康で毎年新潟マラソンを走りたい。結果よりも気持ちよくゴールできる、そんなランニングを

 続けたい。 細く・長くいつまでも。


「寺泊」てんまつ

佐藤


 ゲストランナーの増田明美さんが、「遙かに佐渡を眺め、海と山の景観が素晴らしいコースを皆さんと一緒に

 楽しんで走りたい」とスピーチした。しかし、景色に感動し楽しんで走れるのは序盤だけ、正直いって走るのは

 決して楽ではないのであり、彼女は逆説的に言ったのであろう。

 後方の集団につき、沿道の応援を背にうけて調子も上々とペースを刻んだのだが、折り返し手前で仲良しの

 お客さんがサインを送ってきた。痙攣警報だ、まだ早いよ、待ってくれよと給水所で入念に水を掛けて、頼むぞ

 と祈る。

 Uさんが、「ビールが待っているよ」と追い越して行く。

 沿道の声援は大いに気力を与えてくれるのだが、余力がある間まで、足が上がらなくなっては、「頑張って」

 の声はあまり有り難くない、何か別の言葉がないのかと聞き流しひたすらゴールに気力を集中する。

 給水所や沿道の声援は本当に有り難いのだか、「難儀くたっていいこて、自分が好きで走ってるんだからや」と

 声が飛びムッムッ"としたが、考えて見れば30kmも走らせてもらい感謝しなければと納得し、「ご苦労さんです、

 有り難うのしっ」と応援のねぎらいを込めて返した。 

 最終チェックを何とか通り、ラスト走者でゴールし記録も残せた。

 かつて田麦山で、宇佐美名ランナーから「市民ランナー」は楽しく・マイペースで、持続して走ることが大事と指導

 された。苦しい走りも楽しくやれるように、そして出来るだけ続けるように実践していきたいと思っている。


「第26回鯖石ロードレースに参加して」

渡辺


 朝から小雨である、7時に出発する。途中も雨はやまず、鯖石コミュニティセンター入り口で受付をし2階で休憩、

 9時55分スタート、少し肌寒く感じた。目的距離を楽しく走る。楽しいから気負いはない。ペースを守ってレース

 運びが出来た。

 レースの参加者はすべて、「ありがとう」の心を大事に、スポーツを楽しむ全ての人に希望と勇気を与えた、

 素晴らしい大会でした。

 レースの終了後に、体育館で町民の人からの豚汁と温かいおにぎりで満足となる。鯖石の自然と人情に支えら

 れた、この大会に来年も参加したいと考えています。


「第2回湯沢駅伝大会に参加して」

大泉


 私たち「長岡ランナーズ」では3チームで約20名の参加でした。当日の天候は、曇り時々小雨で走るにはまず

 まずのコンデ

 ィションでした。私は1区で4.2kmに出場。ゆるい登り坂ばかりでしたが、2区の古川さんに無事タスキをつな

 ぐことが出来てホッとしました。何故かと言うと、一週間前から疣痔になってしまったのです。原因は、辛子漬け・

 山葵漬け・コンニャクキムチの三品をアルコールと共に一週間食べ続けたのです。これらは、並の辛さではな

 かったのです。女房からは体にさわるからと注意されていたのですが、まさにその通りになってしまったのです。

 あわてて薬局通い、禁酒もしたのですが、なかなか良くなりませんでした。

 大会の前日にようやく治まったばかりで、力を入れるとぶり返す心配で踏ん張ることが出来なかったのです。

 無事に全チームがゴールし、終了後「駒子の湯」で汗を洗い流し、小さな食堂での大反省会を行い、大いに盛り

 上がり楽しい一日でした。 最後に準備をして下さいましたスタッフの方々、有り難うございました。

 「余談」 さすがに湯沢だなと思いました。 山紫水明で山々の紅葉も美しく、時折雲の間から光が差してとても

 感動的でした。

 「駒子の湯」に行く道中にスポーツ公園が有り。そこで茸を見つけ、白滝酒造さんで名水を飲んだり、収穫の

 多い一日となりました。私は、長岡このこ同好会に入っていますので、わからない茸が有りましたら連絡下さい。

 お調べします。


【ランランリレー談話室】(2)

『私のミレニアム記念くびき100kmマラソンの旅』

丹路


 今回で3回目ですが、前回迄は余裕時間が少々有るので何とか行けるのではと、単純な気持ちで参加、寒い

 小雨の中、5時30分スタートでビニール袋を着て「山谷さん」と手を組んで出ましたが、いつの間にか離れてし

 まいました。

 夜が明けて日が差して絶好の走り日和になり、岩の原ワイン工場の山道に始まり、高低差345mの山を5箇所

 越えます。

 30km辺りで人の波もまバラケて、山中ではスローな走りで気持ち良く越えられ、村人の声援と道端の美しい花が

 目を楽しませてくれます。残り15kmは平地と言っても柿崎町の緩やかな坂道は私を苦しめ、前半のつけがきて

 応援されても応える事も出来ず歩いて通り抜け、大潟町からの最後の5kmの道程は暗く寒く、どんどん遅れて

 何と長く感じた事でしょう。

 暗闇の中にゴールの灯がが大きくなり、人声が賑やかに聞こえて時には、私は走っていました。

 無事ゴール出来、メダルを首に懸けて貰い「志田さん」に会い、一休みした時、急に目の前が真っ白になり

 貧血を起こし救護室行きでした。

 無事ではなく、12時間48分の旅でした。皆さんに大変お世話になり有り難うございました。 


次回の執筆は吉沢さんです。ご期待下さい。


『編集後記』

丸山


 本号では5人の方から、マラソン大会参加の感想を執筆いただきました。

 本日は忘年会。読んで楽しく、話題がいっそう発展していけば幸甚です。

 次回は、3月25日(日)ランナーズ総会の日に発行予定です。


第4号

H13.03.25

「市レク協より感謝状頂く」

〜五十嵐〜


 2月6日開催の長岡レクレーション協会11団体参加の新年会の席上で、私共長岡ランナーズの

 前三役(五十嵐、今井、小幡)の三人が協会長より感謝状を授与されました。

 おはようマラソンが昭和46年に開催されて以来、当会が主催運営をし、現在に至っています。

 また、長岡シティマラソンは昭和60年より平成11年までの15年間、成人式記念マラソンも昭和

 63年より平成11年までの12年開催され、それらの行事には私共は会を挙げて、誠心誠意運営

 に努めて参りました。その貢献度が評価され、このたび当会に授与された立派な感謝状と喜ん

 でいます。これもひとえに皆様の絶大なるご支援・ご協力のたまものとここに改めて深く感謝申し

 上げます。今後共これを契機に市民の健康づくり、仲間づくりに励もうではありませんか、今後

 共よろしくお願いいたします。


「アロハ〃ホノルルマラソン 2000」

吉沢


 常夏の楽園ハワイ・ベリーグゥ、藍色の海、渡に戯れる人魚、小麦色に輝く脚線美、豊富な胸谷

 の眩しさ、枯れかけた青春も蘇らない筈はない。時差なんて頭の中は明日のレースで満席、ホテ

 ルは渡辺さんと同室、成田空港の免税店で仕入れた高級ウィスキーも完走祝迄お預け、互いに

 明日の快走を祈って々と夢の中、女神に優しく起され、いざ出陣。

 4時ホテルを出発、外は暗く街は静寂。されど活気は満ち、人影は三々五々続々とスタートの

 アラモアナ公園に向かって進む。私達も流れの中に、参加選手は我が物顔に道路を満して進む、

 前へ前へと群の中を行く、Tシャツ姿の群を抜き、ランパン姿の群の中を更に進む。振り向くと

 いつの間に一人ぼっち、日標はサプフオーの群だ・3万人の渦の中、自分の力を算し栄光の

 ゴールに向って走るだけ。前哨戦は始った。惜しくないTシャッを脱ぎ捨てる。背には長岡ラン

 ナーズの名入り、恥じない走りをと自分に言い闘かせる。

 機は熟し、カウントダウンが開始された。突如天に快音、同時に五色の鮮かな花火の連発が

 花開く。

 2000年のホノルルマラソンの幕は切って落とされた。3万人の鬨の声がアラモアナ公園に漲る。

 行くぞ足元に注意しつつ朝まだ暗い走路を歓喜と栄光のゴール、カピオラニ公園目指し走り始める。

 ワイキキピーチ8km、ダイヤモンドヘッド13kmと暗い走路を通過。やがて15kmを過ぎて漸く視界

 が開き始める、沿道より盛んにキー々檄が飛ぶ。

 17kmより6.5kmの直線ハイウェー南国の椰子の沿道を走り過ぎると、やっと13マイル、中間点

 通過2時間23秒ちょと遅い。

 いよいよ始まる第一の壁30km地点、力を保った中での通過を心に走る2時間50分、からだは

 相当に応えている。これからがフルの真髄、第2、第3の壁、疲體に喝を入れ直し、最後の決戦。

 己との闘いが始まった。残り12.195kmは苦難の二文字だけでした。歓喜と栄光のゴールは力強

 く美しく長岡ランナーズの恥じる事なく元気で走りました。「つもり」4時間9分10秒で残念で、

 サブフォーが欲しいです。

 渡辺さんと小生、勝利の女神の笑えみで75歳〜79歳のクラスで1位・2位になりました。此も賢英

 な長岡ランナーズの皆さんの支えのお陰です。

 21世紀は80の峠越えが本番だと肝に銘じております。健康マラソンを生涯の友として、K(勘次)・

 M(正雄)は目標に向って走って行きます。 今後共に温かい御声援を永くお願いいたします。 

 結びに長岡ランナーズの皆さんの健走と快走を祈念いたし拙文を終わらせていただきます。

 (追伸)

 折り返し30kmでも続々とジョグ・徒歩の集団が(日本人の観光客と見受けられる人)切れる事

 なくホノルルマラソンを楽しんでおられました。 日本のレースでは見受けられない光景です。

 世界の観光地で有り日本のハワイの感じがしました。

 ※ 「K(勘次)・M(正雄)のホノルルマラソンでのワン・ツーフィニッシュは本当に素晴らしいもの

 であり、新聞各紙も大きく報道していました。 

 改めてご両人の快挙をお祝い申し上げます長岡ランナーズ一同


『平成12年度を振り返って』

今井 会長


 20世紀から21世紀への節目の年に偉大な五十嵐会長からバトンタッチを受けて、長岡ランナ

 ーズの会長を引き受けましたが、私自身は何もしないうちに1年が経過してしまいました。

 そんななか各役員の方々の協力で、「ランナーズだより」の発行・いくつかの新しい取り組みの

 中から、多数の新入会員の方を迎えることができました心から感謝申し上げます。

 これから益々、少子化と高齢化社会となってゆく中で、健康が一番との共通の目標で、21世紀

 になった今日、楽しみながら参加できる取り組みを考えて行きたいと思っていますので今後と

 もご協力お願いいたします。


『編集後記』

丸山


 「市レク協会よりの感謝状」・「ホノルルマラソンの快挙」を本年度最終号でご紹介でき、編集

 委員一同楽しく仕事をさせていただきました。 1年間のご愛読ありがとうこざいました


第5号

H13.06.17

『21世紀を迎えて』

今井 会長


 2000年から2001年へと、カレンダーが新しくなっただけで終りなのか知れない。しかし20世紀

 から21世紀になったことを考えると、せっかく迎えた新世紀で長岡ランナーズの仲間が、世紀

 を跨いで健康で走り続けている事で、地域や家族から走ることは健康づくり・老化防止に役立

 っていることを認知してもらい、一人でも多くの仲間づくりができればと考えています。

 また、長岡ランナーズの最大行事であった「長岡シティマラソン」が昨年から中止となり、市民

 の方からも残念ですの声も聞こえております。できるだけ早い時期に規模は小さくとも再開を

 できたらと思っておりますので、会員の方々から、提言を期待しています。 

 今後とも皆様の協力をお願いいたします。


『スプリングロングラン魚沼に参加して』

杉本


 ゴールデンウィークの最終日、気持ちよく晴れて肌寒い感じもする午前6時過ぎ、総勢20人で

 厚生会館前から川西町千手温泉を目指してスタートした。これまでは、東山へ向けて真木林

 道を越えてのコースを取っていたが、今年はは残雪が多いことから今までと全く違うコースを

 設定された。

 スタートして小千谷市街に入るまでは、早朝のひんやりした五月のさわやかな風を身体に感

 じ壮快に走っていたが、発電所のあたりからアップダウンがきっくなりしかも気温も上昇して来

 たことで、急に足が重くなって疲労が激しくなり相当のペースダウンとなった。最後一直線の3km

 は、疲労こんぱいして素晴らしい新緑の山々を楽しむ余裕もなく、ただ足を前に出すのが精一

 杯立っているのがやっとの状態であった。

 それでなんか、全員無事に45kmを走りきってゴールし、その後温泉につかってつかれをとり、

 水分を絞り出した後の身体に冷たいビールを注ぎ込むとまた、がぜん元気が出てきて、走り

 終えた後の宴会は大変盛り上がった。

 目的地まで完走できたことは物凄い感激であり、また充実感を味わうことができたことは、

 このロングランを企画していただいた品田さんにお礼をするとともに、大泉さんから伴走車で

 荷物を搬送してもらったおかげと大変感謝しています。


『一本のひもで結ばれたファンラン』

〜B・フリースプリングラン」inNAGAOKA〜

久保田


 「さあ、行きましょうか。」「スタートですね。」「新緑がきれいですよ。」「新緑の匂いがします。」

 ---B・フリーのスタートの時の会話です。いつものランニングのスター卜風景ですが、隣には

 一本のひもに託された信頼と安心。伝えることで風景に目を転じ、同じ風を感じるため肌と耳

 を研ぎ澄まし、体全体で感じる走ることの楽しさを再発見させられた一日でした。

 これは、5月13日(日)今年で7回目のB・ランフリースプリングラン」inNAGAOKA一本のひもで

 結ばれた(市営スキー場で開催)に参加しての感想です。私自身4回目でしたが、いつも新鮮

 に感じています。今回のパートナーは、柏崎の小川さんでした。膝に故障を抱えていました。

 小川さんの「私達は決まった道をいつも同じように走らなければならないから、故障も同じと

 ころに出てしまう。一人では仕方ないのです。」---返す言葉がありませんでした。

 走ること走れることに感謝する気持ちを教えてくれました。いっも何スタートをきる。これからは、

 「さあ行こうか」でスタートし、「ありがとう」で締めくくることに心がけようと思いました。

 一本のひもから伝えていただいた多くのメッセージ。「ありがとうございました」「こちらこそ、

 ありがとうございました」「こちらこそありがとうございました」こうして10kmが終わりました。

 心地良い疲れが、走ったことの証のように感じられる、まさに「ファンランニング」でした。

 ※ 一本のひもに託された信頼と安心、その「ループ」の作成者は、五泉の白石えり子様でした。

 厚くお礼申し上げま す。

  多くの方々の参加、サポ ーターによって五月晴れの下、本当に楽しい一日が過ごせました。

(編集委員)


『還暦のつぶやき』

〜三島山岳マラソン奮戦記〜

田口


 還暦を迎えた。長岡ランナーズに入会させていただいてから四半世紀。入会の動機は少々

 細身になりたかったこと(ちなみに当時68kg・現在は55kg)。走ることなくして我が人生なし。

 願わくばジョギング中に雨に濡れた大輪の紫陽花を眺めながら心不全か何かで果てたい。

 ここ2〜3年体調はすこぶる良好、同輩の諸兄がやや停滞気味の中にあって自身も驚いている。

 有森祐子ではないが自分を褒めてあげたい。

 さて、17回三島山岳マラソン、天気晴朗、年代別表彰がチラッと頭をよぎる。スタート3分前、

 我がランナーズの面々、かつての強豪がずらりと並ぶ。元々小生ランナー向きの身体でない

 ので、攻撃を仕掛けるのは不得意。落ちてくる諸公をコツコツ拾いあげて行く他力本願の

 マイペース型、ただ、このマイペース言うは易し行うは難し。

 行き交った走友3〜4名にご登場願う。「綿貫さん」15年前の雄姿が脳裏に焼きついている。

 7〜8km地点で背中を捉え、「お先に失礼」、「清水さん」追走・並走・やがて彼の背中がみる

 みる小さくなる。脚力強靭。「早川さん」この人は雲上の人、7〜8km地点で既に逆走、筋肉

 マンそのもの。「志田さん」車に乗って"ラクチン"でご帰還、ポーカーフェースぶりは定評の

 あるところ、このたびの結果を見て彼も人間だなあと一層親しみが増してきた。

 かれこれとしているうちにフィニッシュと相成り、第5位入賞(年代別)結果よければすべて

 良しとしたい。ビールで乾杯・万歳!!


『ランランリレー談話室(4) 京都大会』

古川


 私がランナーズの仲間に入れてもらって、10年以上があっという間に過ぎました。

 最初は、大会には参加しなかったのですが、1990年の笹川流れ大会から出るようになりま

 した。それから大会参加は、気軽さ、手軽さ、財布の軽さから県内や長岡周辺の大会に出

 場して来ました。あるとき、雑誌で名刹・史跡で有名な京都のシティハーフマラソンの記事が

 ありました。高校の駅伝や女子マラソンなどで、よく中継する街なので、一度都大路を走り

 たいと思い、2000年の第7回大会に、申し込み、運良く3倍近くの抽選に当たりました。

 大会前日の受付会場は、エアロビックスのデモ、マサージサービス、健康相談、各出店があり、

 大都市の大会らしい華やかさでいっぱいでした。当日は、前日の夜の雨もあがり、春の和らか

 な陽が差す絶好な天気となりました。平安神宮前での出発時には、花火が・ラジオ・テレビの

 中継もあり、ヘリが飛び、いやがあうにも大会気分が盛り上がって来ます。千人近くが一斉に

 スタート、最初の10分位は雑踏での速歩き、平安神宮から鴨川を渡り、烏丸通りを北上し、

 御所を右に折れ賀茂川沿いに国際会館で折り返し、自川通りを南下し、京都の北東中心部を

 一周の平坦だけど、風景の変化のあるコースです。

 途中でのバンド演奏の応援・大勢の応援あり、仮装して走る人ありと大変楽しいレースを体験

 することができました。 次回は「斎藤良夫さん』にバトンタッチです。ご期待下さい。


『編集後記』

丸山


 本年度も、長岡ランナーズだよりの発行は4回を予定しています。

 走ることを通して人生を語り、親睦を深め、視野を広げてい来たいものです。


第6号

H13.11.07

『蓮花寺ロングランに参加して』

川上(芳)


 走ることの幸せを感じながら信濃川の土手を走って早6年目に入ります。

 6月3日は蓮花寺までのロングラン。昨年は雨の中を走りましたが、最高のロングラン日和。

 田植えの終わった田は緑の絨毯そのもの。空は真っ青。遠くに雪を頂いた妙高連山。

 「早く走ってはいけません」という佐々木さんのありがたいお言葉。 体育館まではとても気持

 ちよく走りました。

 しかし、ここからが大変。昨年は「こんな急な坂は走るより大股で歩いたほうが早い。」と言い

 ながら歩いたことを思い出し、サテ今年は・・・と迷っていましたら、なんとその坂を通らず街

 の中。大変ラッキーでした。喜びもつかの間、いよいよ坂道です。急にスピードダウン。

 ゆっくりでもいいから歩かないようにしようと一歩一歩足を前に出し、何とか上りきる事ができ

 ました。あとは下って覚えのある集落を通り目的地までの急な坂を上がるだけ。

 ゆっくりペースでしたが走りきった満足感を十分かみしめる事が出来ました。

 その後、小木ノ城まで足をのばし(歩いて)それも足をのばしすぎたため「カンパーイ」に遅れ、

 頭を低くして着席し、準備してくださった方々に感謝しながらおいしいビールとおにぎりをいた

 だきました。ワインも頂いたらクラッとしたので急いでお茶を薄めました。

 楽しい一日をありがとうございました。


『走ることにはまった私』

高橋(愛)


 1kmも続けて走る事ができなかった、私が近所の沼田さん夫婦の良い影響で、「おはようマラ

 ソン・ランナーズ」のお仲間に入れてもらいました。素晴らしい良き先輩達が、頑張り続けて走

 っておられるのを目標に見よう見まねで一年半・そんな私がぼちぼち大会に出場。6月10日田

 麦山ロードレース、8kmに初出場、「やりました!」年代別で初優勝。 

 5月6日の千手温泉までの45kmの春のロングランで、初めて出会った森山会長より「早かったね」

 と二つと同じものがないという木製手作りトロフィーを頂戴致ししました。

 何も知らない私に、「走ることへのファッション性」、「脚筋力を鍛える」トレーニング実践編を郵

 送してくださった方、助言・激励・褒めまくって下さった方々、多くの人との出会いの中で「心・技

 ・体」の重要なポイントを沢山教えて頂きました事に感謝しております。「有り難うございました」。

 走る事が好きになった一番の原因は大勢の方々より、褒め上手に引き上げてもらった事かも

 知れません。同じ汗を流したもの同士で飲み交わすビールも格別で会話も弾み楽しいです。

 親から授けて頂いた大切な命を末永く愛用しながら、これからもランナーズの一員として颯爽

 と走り続けられたらな〜、と思っています。


『浦佐マラソンに参加して』

神林さん


 「毎年のことながら、どのマラソン大会もゴールした直後は心に誓うのですが、一度も実行した

 事がありません。来年は練習してから来ようと・・・」 私は、職業柄出勤時間も早くそうして帰宅

 時間も遅いので練習する時間が少ないのが現状です。毎朝4km程度のジョギングですが、三島

 ・浦佐のマラソン大会は出場を楽しみにしています。

 今年の浦佐も全く練習せずに参加してしまいました。9月2日朝6時15分に家を出て現地に着い

 た時は、駐車場も無く山の方に駐車し急いで受付を済ませランナーズの仲間の居るいつものと

 ころに行きシャツにゼッケンを着けた。

 いつも思うのですが、ランナーズの明るい皆様に会うと、今日は完走できるか?などの心配は

 一時消えるから不思議です。8時30分、足のふくらはぎのケイレンを心配しながらスタートした。

 5kmの所で時計を覗いたら、28分経過。これから33曲りの登り、そして苦手な下り、ゴールは

 順調にいって2時間15分?と予想しながら走った。練習不足の私は、後は惰性で走り続けた。

 10kmの所でまた時計を見た、1時間2分、後はケイレンを起こさぬよう注意して走り続けた。

 相変わらず何人ものランナーが私を抜いて走り去った。そして心配していたことが後1kmの所

 で起きた。左足のふくらはぎのケイレン!。ふくらはぎが飛び出るのではないかと思うほどの

 激痛であった。1分ほど両手でふくらはぎを押さえ、痛みが少しやわらいでから、ゆっくり歩く

 ようにし、左足をひきずりながら走り続けた。ゴールまでの直線、地元の人達の声援を受け漸

 くゴールした。

 この苦しみは、経験した物でなければ分からないのでは...。おそらくゴールが後1km長かったら

 完走できなかったのではないだろうか?。マラソンは、どの大会も苦しいものですが、私は、

 これからも健康に感謝し最下位になるまで大会に出場したいと思っています。

 風呂に入り昼食そして昼寝をし、2時過ぎ足の痛みも無くなり心地良い気分に浸ることが出来

 ました。来年も是非この大会に出よう、今度こそは練習をと心に誓い浦佐を後にした。


『私とランニング』

斉藤さん


 私がジョギングを始めたのは34歳の時で、転職を決意し、どんな仕事にも耐えられる体力作

 りと何事も長続きしない三日坊主の性格を改善するためです。最初に出場した日報ロードレ

 ース10kmで48分もかかり、びりから2番目という実に不名誉なおまけ付きでゴールしてからも

 へいへいの体で、早くレース会場を去りたいのに足がパンパンに張り、歩きたいけど歩けな

 い実に惨めな思いをしました。そんな私も、走ることの楽しさに触れ、三日坊主から回復され

 かかっている時に、品田さんにランナーズに誘って頂きました。 

 最初は皆さんと一緒に走るのが恥ずかしく感じたことも有りましたが、慣れるにつれて、何で

 もっと早くランニングに出会わなかったのか等と思い始めました。

 初マラソンはホノルルマラソンで、私の三日坊主の性格を知っていた母は、何でそんな遠い

 ところに走りに行くのかと言って、私のハワイ行きを止めましたが、三日坊主と決別という意

 思を抱いて行きました。遠く海外のマラソンに行くことを決めたことで、かえって練習に熱が

 入り、練習を積み重ねたおかげで、ゴールが見えた時、それまでの練習の日々や・母・仲間

 の顔が浮かんで涙でクシャクシャな顔でゴールとなりました。

 ホノルルで完走できたことが、その後のサブスリー、県縦断駅伝の選手へと結びつきました。

 今は放送大学の四年生です。来年卒業したら、また、おもいっきり皆さんと走ってみたいと

 思います。次回は『渋谷さん』と『志賀さん』にバトンタッチです。


『編集後記』


 創刊号より、ランナーズに関する行事、大会の感想を主に紹介をしてきました。

 7・8号では会員の貴重な体験談を「ランランリレー談話室」で大いに語っていただきます。


第7号

H13.12.02

『フェスタ2001で』

高野 (喜)


 明け方の雨も上がり、すっきりとした空気と爽快に澄み渡った青空の下、手の行き整った

 緑の絨毯を敷き占めたような斜面と、観て欲しいとばかりに咲き誇る秋桜が、比処は長岡

 丘陵公園。その一隅のプラカードに集まり、今井会長の「今日はフルマラソンのタスキリレー、

 皆様ゆっくり走って楽しみましょう」の挨拶。

 1周1kmを走り通る毎にスピードに乗る。その早さに唯驚愕し、「憑っちゃならねてや」、小生

 天邪久は負け犬のように身勝手なラン。普段見かけないポニーの背に乗って喜ぶ児達を横目

 で見る。時に「頑張ッテー」の声に喜び、傍らの人達に指差され「あれはもう駄目だ」の声に

 「なんだこの"バカッタ"レめ」、独り言を呟きながら435の石段を登ると、遠くの市街地が東山

 を背負うように横に広がりを見せ、仲々の眺めである。土の涯では思い思いに飛んだり跳ね

 たり、踊ったり。熱い一日でした。


『おはようマラソン』

佐々木


 「楽しむことだけが本当に楽しいことだろうか?、日標があり、努力があり、挑戦があるからこ

 そ競走(レース)は楽しい、辛く、苦しく、しかしそれが故に、この上もなく楽しい」。雑誌ランナ

 ーズのシューズメーカの広告に記載された文である。

 おはようマラソンに始めて参加される方は、みんな、一度はこんな気持ちになって苦しみな

 がらランナーズの仲間になっていくのである。走る病気である。

 今年も6名の新人を迎え5名の方が最後まで参加され、遠出について来られて10月の東山

 ファミリーランドの納会で走る喜びを話をされていました。58名の参加者が、雨の日、風の日、

 休まず練習に来られる皆さんはたして十分満足されているか不安で不安で考える毎日です。

 こうしてほしい何かご意見お聞かせ下さい。

 来年も続く仕事ですのでよろしくお願いいたします。自分ばかりが楽しんでいるようですみま

 せんでした。この一年間ご協力有り難うございました。「来年もよろしく」。


『弥彦菊見ランに参加して』

五十嵐


 我がランナース伝統行事の弥彦菊見ランが本年も11月11日の日曜日に開催された。

 当日は朝から快晴に恵まれ会員18名が参加した。もとJTに向かい、こちらで新潟の

 小野福道から農面道路を通り、与板町の黒川沿いから旧長岡鉄道線沿いの道路に移り国

 上寺下の橋を渡り、新潟寺泊道路を経由し、全線37kmを全員元気に完走し、笑顔で弥彦駅

 にゴ−ルインした。

 早速、例年通り旅館「よしもと」に向かい、こちらで新潟の小野さんと夫々笑顔で合流した。

 早速温泉にて汗を流し全員気分も明るく弥彦神社に向かい、境内に展示されている数多く

 の菊の花を観賞し、また、一本の茎に約400ヶの花の咲いている大鉢をバックに写真を撮り、

 そして社殿にて完走の喜びと家族の健康を祈願した。

 そもそもこの行事は、今から23年前の昭和53年に始まった。11月12日の日曜日の朝、滝沢

 晋元会長宅に集合し、5時34分にスタート、蔵王橋を渡り下川西・与板・分水・弥彦神社前ま

 での35kmで3時間29分でゴールイン。

 到着するや神社の境内に入ると小川のせせらぎがあり、そこで裸になり身体を洗い、汗を拭

 き取り仕度を替えた。

 そして大勢の参詣の人達の注目の的となったことが現在ても忘れられない楽しい思い出である。 

 願わくば、この楽しい菊見ランの行事が今後とも多数の皆様の参加を得て、末永く継続される

 ことを願って止みません。


『ランランリレー談話室(6) 〜出合いに感謝〜』

志賀


 「只今わたし、58歳と10ヶ月の、太り気味のチンタラジョガーである」。

 結婚30周年を記念して、「これからの人生を楽しく前向きに」とマラソン大会に挑戦したのが

 7年前。瞬発力には自信があったが走った事はなく、最初400m走るにも息が切れガッカリした。

 それからは基礎体力作りを主に少しずつ距離を伸ばし、2ケ月かけ1km、それからは

 グングン距離も伸び4ケ月後、信濃川の土手に出た。新鮮な空気を胸いっぱい吸って、周りの

 景色を感じながら走るうれしさ、健康の有り難さを肌で感じた瞬間だった。長岡シティマラソン

 にも参加でき、山内さんと出合い、翌年おはようマラソンに参加して6年、長く走る楽しみを

 知りました。

 今は挑戦する短距離と、仲間と走るロングランの二本立てで二度楽しんでいます。これも

 「チンタラジョガーほどかゎぃぃ」と言ってくれた役員さんの愛情と熱意のおかげです。

 そしてここまで続けられた、おはようマラソンに出合えたことに感謝すると同時に、すばらしい

 皆さん、楽しい仲間達、どうも有り難うございます。私にとって、先輩の皆さん、若い人達の

 活躍は私の励みになり、勇気と希望が湧いてくる。これからも、人生の道しるべとして永く、

 楽しく走りたい。


『ランランリレー談話室(7)』


『一日も休みなく走りつづけて50,000km』

〜人生の哀歓をこめて走った六千日〜

渋谷


 私は2001年11月11日に、一日も休みなく走り続けて、5万kmを走破した。その期間16年4ヶ月

 と10日間、地球を2周目に入り、日本列島を4周した距離になる。長岡・新潟と雪国の街を40

 歳台50歳代・60歳代の三代にわたり、文字通り「人生の哀歓をこめて約六千日」を走り続けた

 結果である。その期間、健康であった家族と走る基礎体力を支えた家庭料理の達人の妻に

 感謝したい。

 また、私は良き走友に恵まれている。長岡ランナーズ(在籍20年)のメンバーは勿論の事、

 私が所属する「ランニング学会」「湯沢葉走り込み合宿(12年間連続参加中)」「URC(北海道)」

 「新潟JOY」「フル百回楽走会」などなど。

 "我以外 皆 我師"(自部に害、全ての人が自分の先生であるの意)そのご指導ご鞭撻に常

 に感謝している。

 何故、毎朝走り続けるのか。起床後、無念無想で走り出す。「走る世界」が魅力的であるからだ。

 走暦40年・ロードレース出場20年・その期間に出場したレースは百十回、そのうちホノルルや

 ゴールドコーストを含めたフルマラソンが30回以上、走ることが生活の一部になっているのである。

 私の走る目的は“心身ともに健全な社会人になる為の手段"したがって、レースに出場する為

 に走っているわけではない。

 結果として日々の走りの延長線上にレースがあるのに過ぎないのである。

 渋谷流LSD“心羅万象に心を遊ばせて歩むがごとく走る。"と定義づけるのものもその為である。

 " 好事魔多じ " 5万km走破の直前に相次いで病魔に襲われた。右アキレス腱・右背中・右足指

 を負傷、だめ押しに悪性の風邪も引き、同時多発テロ的トラブルを乗越えての記録達成だけに

 感激もひとしおである。

 "千里の道も一歩から" ローマは一日に次回は『小杉富雄さん』と『上原(和)さんJと『山谷さん』

 にバトンタッチです。


『編集後記』

丸山


 便りを通して交友をさらに深めあい、話題が発展していけば幸いです。

 走友による走友のための機関紙になってきていることを、ともどもに喜びたいと思っています。


第8号

H14.03.2

『平成13年度を振り返って』

〜今井(守)〜


 会員の皆さんに、この総会で配る長岡ランナーズ名簿から高野(喜)さんの名前が外れている

 ことに気付く方が多いと思われます。年末に高野(喜)さんから体調不良につき脱会の意思

 表示がありました。すぐに脱会などせずに体を治してまた、一緒に走ることを望みましたが

 本人の希望もあり、このような結果になってしまいました。

 高野(喜)さんの独特の走りが見れなくなることは大変残念ですが、また元気に体を取り戻し

 長岡ランナーズの仲間に戻ってくれることを待ちたいと思います。これからも、健康の大切さ

 を忘れずに仲間と楽しみながら参加できる取り組みを模索しながらやって行きたいと思って

 いますので今後ともご協力をお願いいたします。


『ランランリレー談話室』


〜「生涯のライバル」〜

小杉


 もし皆さんと出会っていなかったら、今頃大杉を飛び越して太杉になっていたかもしれません。

 最初の頃の僕を知ってる方から「痩せたね」って言われる事が嬉しくてここまで頑張ってこれ

 ました。とにかく3年前まではフルマラソンを完走するなんて一生無理かなと正直思っていま

 した。と言うのも新潟マラソンのフルには競技場スタートとなった10 回大会から、ずっと出て

 いたのですが、完走できたのは3年前の17回大会からです。

 きっかけは「おはようマラソン」です。それまでライバルは辰口君ただ一人だったので彼もまだ

 当時完走できなかったから僕より長く走っても別に悔しいとは思いませんでした。

 いつも二人で長岡駅前で一杯やるのが楽しかったので恒例行事になっていたのかもしれません。

 「おはようマラソン」に出る様になってからちょっと様子が変わってきました。

 「おはようマラソン」2年目で。僕がやっと折り返しの壁を破り35kmまで走れていたのを喜んで

 いたら、彼は一週間後頚城ウルトラ50kmの部であっさり完走してしまったのです。

 その時は、おめでとうと言ったけど心の中では初めて彼に対して先を越されて悔しいという気

 持ちを持ちました。差がなかなか詰まらないのは、僕も頑張っているけど、彼も頑張っている

 からなんですよね。切磋琢磨しあいながら力をつけていく、これが本当のライバルだと思います。

 最近大泉さんのライバルにしていただきました。

 いつも大会の後のお酒を賭けて競争するので気合が入ります。


『私のファンラン歴』

〜上原(和)〜


 1月11日 初泳ぎしながら考えたのは今年の目標。「毎日を大切にする」です。それは昨年1

 1月21日突然、相棒犬に旅立たれて実感しました。今でも、夫と2人ハートがボロボロです。

 でも身体を動かし気を取り直して、元気を出さないと心配そうに夫が見ている気がするから。

 自然の中を走ったり、ゆったり泳いでいると気分が良くなります。

 私が走り始めたのは、アレルギー性結膜炎を治すためで、粘膜を鍛え体質を改善しようと思い、

 娘が幼稚園に入る年でした。

 昔々、軟式テニスで部活少々だったこともあり、すんなりと小出おはようマラソンに入会し、数ヵ

 月後には嘘みたいに治ってい ました。昭和62年、第3回長岡シティマラソンに娘のお供でデビ

 ューです。亡くなった相棒犬は大会前日に我が家の家族になり、大会当日連れて行ったら多く

 の皆に「可愛い」と言われて取り囲まれ、早々に連れ帰った事が懐かしく思い出されます。

 その後、平成3年に皇居新春マラソンで10q・平成10年ホノルルマラソンを完走。その時のタイ

 ムをメールアドレスにしたのが平成12年3月でした。

 人生は一期一会。長岡ランナーズの個性あふれる、いきいきとした方々に接すると、私もガン

 バローと思うのです。「何を?」なんて聞かないでください。≪waiha507@xxxxx.△△△△.ne.jp≫


『ごほうび』

〜山谷〜


 「足が痛かったら走らないのか」、信じられない様な誘いに走り始めて20年、痛かった足も今は

 痛くない。キロも走れなかった私が、多くの走友と言う仲間のお陰で、頑張れば100kmも走れる

 様にまでなった。数々の大会、どれをとっても思い出や出会 いいっぱい。中でも一昨年「越後

 くびきの100キロ」は私にとって、ちょっと自慢のレースの一つだ。いくら一生懸命に走っても時

 間内にゴールできずにいた過去二回のくびき野、これでゴール出来なかったら、くびき野はもう

 やめ様と思っていた。

 不安でいっぱいのスタート。途中100走会のメンバーの人達と知り合い仲間に入れてもらった。

 結果的にそれが良かった、時間内に入ればいいんだからと最後まで一緒に走ってくれた100走会

 の人達、90キロ位の所だったと思う、「もう歩いても行けるから、どうぞお先に行ってください」そう

 言った時、「後1キロの所でリタイヤ人も居る、ここまで来たのだから気にしないで一緒にゴールし

 よう」走っていて良かった。

 いい人に巡り逢えた。いくら感謝してもしたりない、疲れてなんかいない。暗かった道が、坂を上

 がるとそこからゴールまで続く赤いジュータン、煌々と輝くライト、多くの人達の鳴り止まない拍手、

 遂にくびき野を制覇出来た、私にとってはオリンピックの金メダルよりもっ価値のある、走らない

 人には絶対貰えない完走と言うごほうびをもらったのだ。


[編集後記]


 山谷さんの文章を読んで、走友のありがたさを改めて感じました。競争も大切ですが、共走し、

 協走のドラマをお互いに創作し